2016.6.30 |
良い人ほど この世は泥沼のところということがよくわかる
悔いのないぐらい精一杯生き つねに自分に責任を持ち
自分に向き合う人が 一番仕合せな人
良い人は 人ではなく最後まで自分の為に生きる
人生の中で 他の人は 自分にとっては協力者ではあるが
あくまで 自分本人の心というしかない
本人に素直とは 宿命に忠実ということ
先案じも なんの思いもいらず 今のみに真剣にゆくしかない
但し 卑屈にならず 明るく 自分の為のこの世と思いながら。 |
2016.6.20 |
身支度を整えると 心が安心する それが清らかな生き方
人に迷惑をかけないように 自分にも迷惑をかけないようにゆく
それが「自知・即今・和」の世界
なにごとも前向きに 今の時に合わせ 流れをつくり たのしんでゆく
死ぬまで 自分に帰り 多くの人と出会い 人生をたのしむ
有から無へ 無から有への世界をたのしむ
「有から無 無から有」とは
泥沼の中から自らを浄化し 清浄して 人間になってゆく心のもち方
すなわち 気を浄める道をいう。 |
2016.6.16 |
「自分を偽らないで生きる」それが修業
そして 「自己・自我(思い 願い)を捨てて現実に合わせる」これが合理
まずは とことん動きやってみよ そして自分に感謝せよ
人はいずれ死ぬもの 死により精進するもの 死により 偽りをなくすもの
偽りとは 理なき肉体の慾から芽生える
自分を偽らず 実生活を順調に図っていくことが自尊であり 神仏の道である
人生はいろんなことがあって たましいを大きくしていくもの
悩みある者は 直ちに正道へゆけ それを苦という
苦は 己の汚れ 悩みと戦う時に起こるもの すなわち六根清浄の姿といえる。 |
2016.6.6 |
レオ先生のお言葉
永遠の道を歩むものにとって
この世は 自分との会話により成長してゆくところ
けっして 神や仏に頼るものではない
すべて自分の捉え方次第
そのところに神仏の愛 慈悲が感じられる
神仏は 自分よりも信じられるお方達ということ
本来 自分というものはなく
苦しみ 悩む自分自体が 未完成であり未熟ということ
それを気づかせてくれるのが神仏であり
自分を知ってゆくたびに 神仏の中で生かされ 神仏の中に入ってゆく
それを精進という。 |
2016.5.29 |
人は 弱気になり 自分への挑戦をやめると 力が抜けダメになってしまう
そうゆう気を捨て 自分を大切に 愛しく思える人にまずなること
そして 今まで出来なかったことを一つひとつやってみて
生きるよろこびを身に入れてあげること
人をみないで 自分の役(責任)を意識して
どうやればよいかをじっくり考えてあげることが大切
枯れかけた花に水をあげるように———
すればなんとなく生きることに希望が持て
何かやってみたいと動きたくなる
考えすぎず あせらず まずはやってみることである。 |
2016.5.20 |
本来 生まれてくる意義に非(無駄)というものはない
なにごとも 経験(失敗)により新しい感覚を知るのだから
しかし 人は 自己 自我(おびえ 慢心)があるため 素直にそってゆけず
折角の智恵を得るチャンスを逃がし 誠意なき生き方をしてしまう
常に 自分・自身に 六根清浄の心を持ち 自らを正気にさせ
折角のたましいの修正の時間を無駄にしては
もったいないと思える人にまずなることである
素直は清々しく 快い感じ
自分がうれしいし たのしい
人から見れば それが美しいといえるだろう
一生懸命生きている姿は 人の心になにか感じさせるもの。 |
2016.5.16 |
生きることに自信を持とう
人は願いがあるから いろいろな問題をつくってゆく
願いではなく 現実にそってゆく祈りの心になれば
余分な気を待つことなく 気軽く 身を動かすことが出来る
過去を見ることも大切だが
今を 堅実にしてゆくことの方が価値があり大切で貴重なもの
そして 常に夢をもって 自分をよくしてあげる楽しみを持つことである。 |
2016.5.9 |
まじめに一生懸命 物事をやっている時
人は 気(邪)が抜けているもの
時を大切に活かしている限り 必要以上の緊張感はなく
むしろ 張り合いとやる気が動いてゆくもの
生きるって大変だが また素晴らしい出会いもある
いつも変化してゆく自分がいる
だから 今の自分に 感謝 感謝 ……。 |
2016.4.28 |
気(感情)は 自尊すなわち六根清浄により 心(理性)に向かい
修業により精進し 心大らかに育ってゆく
気は もともと肉体の持つくせにより変化する幻想のようなもの
現実をしっかり見て動けば
一瞬に消え 自分のやるべきことが見えてくる
気は この世だけのもの 心は永遠に続くものと知れば
気に振りまわされず 真をしっかり自分の中に入れ
自分のできる範囲のことをどんどんやってゆくしか道はない
すべての邪 難を真(まごころ)で消化してゆく
それが自尊であり精進であった
真剣に 自分のために時を生き いかす
それが自分へのプレゼントでありよろこびとなる。 |
2016.4.22 |
人はまっすぐ前へ歩いてゆけばよい 又それしか良い方法はない
理屈も言い訳も言わず 自分のあてがわれた役だけを行ってゆけば
人にも自分にも迷惑をかけない
そしてもういいなと思った時から 人様のことを案じられる人になればよい
そうでないと つい相手の顔色が気にかかり
自分にやらなくてもよい負担をかけてしまうから
真がある時は 無事に通るというか 流れるから 安心して動くことである。 |
2016.4.15 |
人生は変化があるからいい
それが自分を振り返るきっかけになるから
日々 新しい感覚で「今を活かすには」をつねに心においてうごく
それが 自分の気(おびえ)を納得させていくことになる
わかろうとしない子にゆっくり教えてゆくように……
気は 一時の霧や雲のようなもの 自分への愛があれば出来る
「今日一日無事に過ぎればそれでよい」で物事を大切に扱ってゆくこと。 |
2016.4.11 |
生きるとは
自分の中の情とつき合い
そして情を通じて現実と向き合い 心にしてゆくこと
その過程を精進という
情は 肉体がある限り大切な役割をしてくれる有難いものだ
ともあれ 合理の中でこの世を楽しみよろこんでゆこう
人ではなく 自分自身に――――
なにごとも真剣に現実にそうこと
それ以外 自分の心を安んじる道はない
真剣の中に 礼(真)があり敬(感謝)があり義(真面目)がある。 |