2016.3.30 |
今生きている自分自身の気を知り
生きるよろこびを一つひとつ体験により感じて 自らを育てる
やすらぎは人からもらうものではない
自分が感じたところから
自分がやるべきことをやれば いつでもこころに入ってきます。 |
2016.3.28 |
この世は
気(感情)にのまれ 真実を知らぬ泥沼の住民の多いところ
真実を知ろうと意識しだした時から その人は自分の汚れを見るようになり
六根清浄の道を歩むよう 自らを律してゆくでしょう
生きるとは 気を安定させるところから始まるということ
気を安定させるために
お釈迦様の八正道という教えがあり 経典がつくられたということです
まず人は 日常の中で形から入り それを一つひとつ消化し
こころを 安定 安心にして 自らを平凡に変えてゆくことです。 |
2016.3.17 |
人は 素直になれば これということもなく流れる
それが自尊であり 精進になる
日々の新しい問題(苦)を いかに真によって解決してゆくか だけのこと
先案じ 思惑 不安というおびえよりも
どのように対処して自分の気を楽にしてあげるか 自分に問いかけること
自知 即今は その為の魔切りであり励ましでもある
心はいつもゆったりした人生を
そして自分のやるべきことはきちっとやり
自他ともに感謝して今を生きてゆく人になること。 |
2016.3.9 |
自立するとは 本来の自分に戻ることである
過去を整理し スッキリした自分に帰ってあげることである
何も特別なことをやるのでなく 日常の平凡の流れに素直に乗ってゆければ
それは その人が自立したあかしである
人は その平凡な一時 一時を積み重ねて 永遠の道を歩んでゆけばよい
死も生もなく。(たましいから言えば) |
2016.3.3 |
真実をしっかり見て動く それが「しあわせの素」
真実に対しては そのままを素直に受け 認め
あとは神の理(真)により即今 即今と動くしかない
それが自分のおびえや不安 気のとどこおりを解除することになる
真実以外に余分な神経は必要ない。 |
2016.2.29 |
天敵は 人ではなく自分の中にある餓鬼である
自分以外は たとえ親であっても情にのまれず
失礼のないように気をつけてゆくこと
これは薄情ではなく 自他の安全を計る温かさであり思いやりである
その所を自覚してゆく冷静さ 客観性を学び
神の理に近づき そってゆく自分になること
すれば過去にこだわっている間もなく 自分の汚れ 醜さが自分の中から消え
のどかな 清らかな自分と出会い 心と気(身)が共によろこびを感じ
なお慎重に事を受けてゆく謙虚な学び人がそこにいるでしょう。 |
2016.2.19 |
日々 生きていることがしあわせと感じること
物欲 権力欲 おびえ 不足 おこり ねたみ その他もろもろの自己・自我が
本来のしあわせの気(心)を押さえ 苦しみ 辛さをつくり出している
そのことに気がつかない限り
いつまでたっても自分の使命 宿命を整理することができない
その所から見直さないと この世に生まれた意味がない
初心に帰り 日々しあわせづくりに心をよせていけば
いずれ それぞれの因縁に合わせて 人は動いてゆくでしょう。 |
2016.2.15 |
人間が人間として歩む(生きる)
それは「自知 即今 和」の教えをもとに「実ある生活」を営むこと
それには 今生きていることに感謝とよろこびを感じ 物事に感動し
自分の身を通じて多くのことを学びたましいに加えてゆくこと
生きるとは そのための貴重な尊い時の流れといえる。 |
2016.2.8 |
生きるとは
真の道にそって今を活かす それだけで十分
迷うこともなく 迷う間もない
真の道とは 適確に物事をとらえ動くことだ
理を適確にとらえられなければ 調和の心ではない
その適確さを身につける為にこの世が必要
この世は 真を見つめなおすところでもあり
自分の癒しの場にもなる。 |
2016.2.1 |
人は やるべきことをやってゆけばよい
その繰り返しの中に 自分を育てるものがある
一つひとつ気を入れず まごころでやってゆけばよい
それが精神(心)の精進の道
その中で丁寧に おごそかに物事と出会い 真実と出会ってゆく。 |
2016.1.25 |
生きるとは すべて自尊のあらわれである
自尊とは 自己愛でも自負心でもなく
すべてを素直に受け生きていく心である
過去はあくまでも自分の欠点を見るきっかけであり
今 過去にのまれ 人のせいにして自分を甘くしてはいけない
生きるということは
心(たましい)が動くということ
決して 前世の方々の徳を使うことでなく
その徳を活かし なお精進して成長させてゆくこと
だから これでいいということがない。 |
2016.1.15 |
人生は 見習と思い
よいものは素直に認め 行い 感動して身に入れてゆく
この繰り返しで過ごしてゆけばよいでしょう
より良い人生とは
好き嫌いではなく 能率的に さわやかな心で
自らの環境をつくってゆくよろこびの中にあると思われたらよいでしょう
よろこびは つねに明るく 素直で 正直な気がないと生まれないもの
生きるということの大切さは
自分の主観(好き嫌い)を捨てれば すぐ足元にあると見直すとよいでしょう。 |
2016.1.7 |
神の理の真に心よせ よろこびの人生を送るには
よいものはどんどん行い 感じ 身に入れ
余分な気は使わないことです
余分な気は 自分を苦しめ 人との輪に入れない因なのです
おごり おびえ ひねくれの自らの気(好き嫌い すじのない捉え方)により
よろこび知らぬ人でゆくでしょう
今を生きる
今をいかし
今をよろこぶ人になろう
気を心にかえてゆくまじめさと誠意があれば出来ることだから
すべては自分の捉え方次第でーーー。 |