2012.06.25 |
人は それぞれの業をもってこの世に生を受けている
業とは 本来の自分の内面にある欠点をいう(おごり おびえ ひねくれ)
この世は その持って生まれた欠点を修正する場であり
そのところから「生きる」ということのよろこびが得られる。 |
2012.06.19 |
人は 生きてゆく限り
ご自分のたましいに損することはやめたらよい
その慎重さと真面目さが
今世の尊い命を守り活かしてゆくであろう
人間の慾は 神から見ればゴミのようなものである。
(マイ・フレンド28号より) |
2012.06.13 |
何でもよいから 善いことをしてゆこう
それがこの世のしあわせにつながる
心豊かは 気を和やかにする
それが人間の道であり
今生きてゆく自分の生きがいになる。 |
2012.06.06 |
物事を知らぬ 又わからぬ人は
形から物事の道理を身に入れ 情(こころ)にゆけば
いずれ形がなくても 真実の理を身につけてゆけるでしょう
そして 神の理の真をありがたく感じる人になってゆけるでしょう
それをしあわせと言います。 |
2012.05.30 |
人は
行なうべき時は行ない
休む時は休むこと
自分のやるべきことを 常にしっかり見つめ活かす
それが人間としての安定した生き方です
人は 物事により自分を知ってゆく。 |
2012.05.22 |
すべてを行としておこなえば 苦という間もない
この世は 気を清浄するところで 汚す所ではない
汚しただけ 自らを苦しめることになる
どちらが得か じっくり考え 身を整理すべきである
すべて人ではなく自分自身に その行いが帰ってくる
そのことをしっかり見定めてゆくことである。 |
2012.05.15 |
生きるよろこびは
物を大切に扱う情(こころ)がない限り本物ではない
生きるよろこびは
感謝と今やっている行動を見直していく誠意の中にある
自己満足は本当のよろこびとは言えない
時を尊び 自分を整え 活かすところに
よろこびが自らの中にめばえてゆく
よろこびは 日常の中にあり
決して背伸びすることも 肩を張る事もありません。 |
2012.05.07 |
この世での安定また安心の道とは
今を真剣に 今を一生懸命生きてゆく
そうゆう自分がいるか?自身がいるか? ということでした
この世では 公平 平等の肉体を頂きながら
それぞれの気質と性質の中で性格が育てられていくのです
自分の中には いろいろな捉え方 受けとり方と
いろいろな 思い 願いがあります
まずそういう自分を自ら知ることです。 |
2012.05.01 |
一生懸命生きることがしあわせを運ぶ
魂に借金ない心がしあわせを呼ぶ
魂の借金とは この世での人との情の貸し借りということ
「天借地借は己が身を焦がす」
これは恩師様が教えて下さった尊い教え
その為に 神の理の真を知り 自分の行いに照らして見る
しあわせは 人とのこころとこころのふれあいの中にある。 |
2012.04.23 |
人は 苦しみを受ける度に たくましく育ってゆく
新たな苦に出会った時
今までの自分に経験のないことと割り切ってゆけばよい
苦を怖がらない人になるには
今怖がることに 挑戦してゆくしかない
それが自分への感謝であり 誠意と言っていいでしょう。 |
2012.04.17 |
この世に不幸はない
問題の度に自分を知り 神の理の真にふれ
まごころと出会い 自分を安定させ 互楽の生活を営む
それがこの世と知るべきであろう
迷うことも 悩むことも
正しき道に出会うチャンスと感謝すべきであろう。 |
2012.04.09 |
神の真により 心が形をつくってゆく
形は常に変化してゆくもの
形は必要によりつくられたものだから――
心知らぬ者が 神の心の形をまず身につけ
基(情(こころ))を知り
そして形を消して 心に変えてゆく。 |
2012.04.04 |
人間は いつも真剣にやるべきことをやってゆけばよい
そして いたわりと感謝を自分への礼としてゆける人が
しあわせの人と言っていいでしょう
その人は 生活をよろこび 新しい捉え方を一杯いただいて
たのしい人生を送ってゆけるでしょう。 |