2011.12.26 |
生きている自体 しあわせです
生きているから
物事をやれて 感じて しあわせを味わいます
本当に 生きることは
やることがあって はじめて喜びを得ると知りました
そこには人ではなく 私と私の中のこころとの出会いです。 |
2011.12.21 |
よろこびは 自分でつくるもの
決して人からもらって得るものではない
人は きっかけを自分に与えてくれるありがたい存在です
よろこびは 自分の分と役の中から無理せず感じるものです
よろこびは 今生きている 今動いている中にいっぱいあります
よろこびは 物金だけの中にはありません
よろこびは 物を活かし 金を活かし切る
その心に育ってくるのです。 |
2011.12.12 |
仕合わせは やればできる
すべてはあなたの心で……
人は悩んでいても始まらない
今 やるしかないで自分に喝を入れ 前向きにやる
それを勇気という。 |
2011.12.05 |
人は 今やるべきことをサッサとやってゆけばよい
それが悩みつくらぬ方法
やるべき事とは 今あてがわれた役の中の責任を言う
そこにはいつも 正しき見方 正しき捉え方 正しき行いを学ぶ問題集がある。 |
2011.11.28 |
悔いのない生き方こそ
この世に生まれた本来の生き方といえよう
そこには素直なこころ
即ち 正しき見方 正しき捉え方が自らを育て
日々の出来事の中で
よろこびと穏やかさが身に入ってゆくだろう。 |
2011.11.21 |
罪は人にあらず
わが身の中で作り出していることにまず気がつくことだ
自分は良いことをやっているか(天則にそっているか)
自分は人に迷惑をかけていないか(けじめある情(こころ)をもっているか)
物金を感謝して使っているか
まずこの三つから 一つひとつ確かめてゆく
その勇気と正意(誠意)を養うことである。 |
2011.11.14 |
心学ぶ人は 決して人のせいにはしない
むしろ謙虚に受け取り
自分としてのやるべきことに心を入れてゆく
だから 本人はいつもおだやかで 人の気にのまれず
日々の中で いろいろの問題を人に聞き
又 学び 解決してゆく
それをよろこびとして……。 |
2011.11.07 |
難は 不行の時に起こるもの 不行とは筋にはずれた行いをいう
当たり前のことをやれば そこには他人も自分もない
物事が現実にそって素直に 忠実に動いてゆくであろう
当たり前とは 天則にそった調和の心と言っていいだろう
礼と敬を自分の義として行う誠意と思えばよい。 |
2011.10.31 |
生きるとは
今 責任を持って 自分の中に悪い気を入れないことである
それを即今と言い 自尊 自立(自律)という
それには 人のことよりも
今自分がこの世に生きている また生きていられる喜びを
感じられる自分にまず戻してあげることだ
苦しみの原因を素直に見られる自分になるには
つねに自分の思い願いを横に置き
天則に沿って現実を見直すところから始まる。 |
2011.10.24 |
自分という人は この世に一人しかいない
そういう自分をあなたは知っていますか?
自分はこの世に夢を持ち また義務を持って生まれ
毎日を前向きに いろいろの仕事をやってゆくところに
夢を実らせ 義務を果たすことが出来
さわやかな自分というあなたがそこに存在し
人とも気楽に交わり 物を楽しく活かし 金を上手に使い切り
本当にこの世に生を受けたことに感謝し
ゆっくりこの世の感覚を身に入れることにより
あの世に正々堂々と帰れる自分がいるということを
あなたは知らなければいけません
それを仕合わせ または幸せといいます
そこには生き生きとしたあなたがいらっしゃるのです
それを自尊 自知といいます。
(マイ・フレンド創刊号より) |
2011.10.17 |
生きるとは 自分との出会い
小さな自分の主観ではなく
客観的に自分を見て
神仏の心にそって 法により物事を判断し
たくましく自ら動き 心に入れてゆこう
頭だけでは たましいに入ってゆかないから。 |
2011.10.11 |
人の道を楽しみ
人の道を歩む
そして自然に人生を流れる
それが理を真に代えての この世での生き方。
法により輪を学び 人の道を歩む
真により和を知り 人間を楽しむ
どちらも安全であり
自尊 自立(自律)の道。
真剣な時は皆よい顔をしている
意識している時と違う素直さがある。 |
2011.10.3 |
自知とは その人の宿命を見て 邪を入れないように
まず 自分の器量を見ることであった
分相応 身巾以内で 一生懸命生きてゆけば
必ず 一つひとつの問題に対しての姿勢が
自分のエネルギーとして自分の中に入ってゆく。 |
2011.9.25 |
人生 自己 自我の自分と戦ってゆく
それが勇気であり 誠意でもある
それでないと いつまでも泥沼の中から自分を解放できない
なぜ自分は生れたのか
なぜ自分は生きているのか
その問いかけが自分の中から起きないと
真の正しい見方 捉え方 行いは自分の中から出てこない。 |
2011.9.20 |
意を正し 動くことが自尊の道なり
自尊とは 自らを天則に合わせ
心身共に丈夫に動く情(こころ)をいう。
しあわせは欲張らない方がいい
一つひとつ ゆっくり丁寧に
自分に素直になってゆけばよい
それが本当の神の真の幸せだから。 |
2011.9.12 |
小さなこだわりを捨てれば すべて悩みは消えます
小さなこだわりが
いつの間にか大きな難をつくってゆくのです
自分を静かに見てあげると そのことがよくわかります。
人はわざわざ苦を作ることはない
苦は作らなければ 起きないものです
神の愛と天則を知れば
自らしっかり見つめ
今必要なことをやるだけでよいのです。 |
2011.9.5 |
今週の教えのことば
生きていることを楽しむ
貸し借りのない有り方で身を浄め
心はいつも真の公平 平等を心がけてゆく
そのような人を品のある方と言っていいでしょう
そうゆう人には 不幸はなく
いつも仕合せに物事を整え 楽しんでゆける幸せの方です
その人はごく当たり前に 力まずに物事をこなしてゆくでしょう
流れの人として。
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2011.8.29 |
輪は 敬い 感謝の時に作られてゆく
神仏は 輪あるところに降りられる
勝手 気ままな者には縁がない
勝手 気ままな者とは 物事に対して自己満足を主体に行動し
自己 自我を優先してゆく道理をわかろうとしない強情者をいう
人情 同情もその一種と見ればよい
神の教えは 人間として必要な 温情 恩情 愛情の
真の心を知らせて下さっているのです。
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2011.8.22 |
けじめとは 自分を整えるところから始まるもの
自分(たましい)に対しても
自身(父母から受け継いだ気質)に対しても
けじめを持つことが人との輪につながる
けじめとは 自分に汚れを入れない責任を持つこと。
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2011.8.16 |
私は知った
この世の仕組みを
私は見た
泥沼は その人の気が作っているということを
泥沼の者は 愛も知らず 温かさも ぬくもりも知らぬ気質の持ち主
泥沼の者は 人としての学びで 自らを整えるしかない。 |
2011.8.7 |
自尊自立(自律)するところに
自らを浄め、清めの道(生き方)をしてゆく
そこには人との輪も自然のうちに育ってゆくもの
たましいの永遠の道しるべ |
2011.8.1 |
生きるとは
自分に素直になってあげること
つくっている(思い願いの)自分ではなく
ありのままの自分の色・特徴を見てあげること
そしてその自分の色・特徴をきれいに磨いてあげることだった。 |
2011.7.26 |
自尊とは
自分自身に親切にする
温かさである。
平凡こそ神の心を知った生き方
平凡の中に 平和 平穏がある
神はいつも変らぬ流れをしている 又 してゆく
人間 動物 植物 すべての生物はただただその中で生かされてゆく
生きるとは とてもしあわせで不思議な出会いである。 |
2011.7.20 |
教えとは 神の理(ことわり)(真理)を言う
人間の作った強弱の教え(道徳)はまだ天の理までゆかず
人としての自分の義務を示すものと知ればよい |
2011.7.11 |
生きるとは
この世を去るまで 生きることを喜びとして
自分と自身の二人三脚でしっかりと向かい合ってゆくこと
そこには人はいない
常に天(神)と地(仏)の教えにより苦を解消し
温かい しあわせづくりの今生きている自分に感謝することです。 |
2011.7.5 |
理を通して行えば必ず清らかな流れが起こるもの
それが神の示される公平平等対等ということ
「自知・即今・和」は
自らを知り整えてゆく自分の浄化の過程と思えばよい
「自知・即今・和」の教えは
たましいに新しい感覚を入れ育ててゆく
修正修養精進といえよう。 |
2011.6.27 |
レオ先生いわく
生きるとは今しかない
過去は戻ってこない
今なくして先のことを考えるのは愚の骨頂だ
今 土台をしっかり組んでゆき
安定 安心の根を張ってゆく
それしかない
今をしっかり見れない者は
水の上に柱を立てるようなものだ。 |
2011.6.20 |
今日を楽しくゆく
それが即今の意味
邪はつくらなければ起きないもの
時を大切に ていねいに 素直に動く。 |
2011.6.13 |
自生会とは よい わるいを知る基礎を学ぶ集まり
自分に対して 不足 不満を思わない人にしてあげることから学び
自分を正常に整えるまじめさを養い育てる。 |
2011.6.6 |
生きるとは
生活にけじめを持つところから始まる
日常のやるべき自分の責任を
真の道理を学びながら身につけてゆく
人は 時と共に育ってゆくもの。 |
2011.5.30 |
今日 楽しくゆく
それが即今の意味
邪は 作らなければ起きないもの
時を大切に ていねいに 素直に動き
人間になる為に この世でいろいろの体験をすれば良い
正しき捉え方
正しき行い
正しき人との交わり方
それを この世の学びから得ることです。 |
2011.5.23 |
心は 愛
情は 慈しみ
共に天則により知り 育てられる。
不幸は 自分に無理している時に起きるものです
神は いつでもその人に光を与えて下さっているのに
その人は 本当の幸せを知らないからです
本当の幸せは 今 生きているということです。 |
2011.5.16 |
喜びも 悲しみも
すべて真の心により身で知ってゆくこの世だけのもの
迷いも 悩みも 真実の理(真)にめぐり合う為のもの
だから この世は仕合わせづくりの所。
真面目とは
今の自分の為にやるべきことをやる その気持ちを言う
人は いつもやる事がいっぱいあるから
余分なことは 後回し 後回し
規則正しい生活の生き方からまず始める
それが一番の早道。 |
2011.5.9 |
人は 我が身で苦難を知った時こそ
本当の生き方にめぐり会えるもの
苦難とは この世の清浄の因(もと)を知り
心新たに 自らと共に力強く生きてゆくことである
苦難知らずは この世の価値知らぬ 真知らぬものなり。
老いてゆくとは
おだやかに 何の心残りもなく
素直に日々を拝み頂き
人間として 成就の道を歩むこと
それを神は 安寿(ごくらく)という。 |
2011.4.25 |
時は 神と共に流れてゆく
その中で人間はどのくらい自立(自律)してゆけるだろうか
森羅万象の中で 動物も植物も生きている
人は 人間としてどのくらい情(こころ)を現してゆけるだろう?
すべての難は 理によりつつめばよい
理は 必ず難を解いてくれるから
この世は 自然と共に生き 真を持ってゆけばいいだけのこと。 |
2011.4.11 |
情(こころ)知るには 己自身がけじめを知らないといけない
人は つい気ままに 自分勝手な生き方をしてしまい
自らの気に振りまわされて 泥沼の中で生きていく
その気ままな自分を整え けじめを知る為に
白神様の「自知・即今・和」の教えがある
人は 前世 今世 来世の永遠の道の中でその教えを学び
自分を大切にする責任感とやさしさを身で感じ知っていく
それを「礼」「敬」「義」という |
2011.4.4 |
不幸は 自分に無理をしている時に起きるものです
神は いつもその人に光を与えて下さっているのに
その人は 本当のしあわせを知らないからです
本当のしあわせは 今生きているということです。
生きるとは
今 感じ 動くことである
なりゆきで動くだけでは 即今とはいえない
即今は 天にも 地にも 自分にも通じるものである。 |
2011.3.24 |
神の理とは
公平 平等 対等の調和
人間は 転生輪廻の中で その心を知り成長してゆく
成長とは 人と比べず
自分の因(気質)を清浄してゆくこと
その為に この世の泥沼がある。 |
2011.3.14 |
生きるとは 今を整え
永遠に生き続けるたましいに喜びを与えること
今 自分をしっかり見つめ
今の役目に気を向け
真の道にひたすら歩む
その誠意に 神は光を与えて下さる
神はいつも公平 平等の方だから。 |
2011.3.7 |
自分を見て 自分を知る それが修行の道
自分を豊かに それが精進の道
修業の道は 自分の汚れ 邪・悪を知り
自己自我に振り回されないように
自分と向き合うところから始まる
それが自分への親切な生き方。 |
2011.2.20 |
人の一生は その人でなければ奏でられない
だから 他の人はそっと見守り 協力してゆけばよい
その人の曲まで取ってはいけないと つくづく思う
その人に早く目覚めさせようと思っても 永遠の道は果てしなく
結局は その人のたましいにまかせてゆくしかないだろう
天の声を書き 伝えるしか私の出来ることはない
天の声は いつも温かく 愛に満ちている
天の声は 人間にとっては 恵みの光である。
( マイ・フレンド 二十二号より) |
2011.2.13 |
人は 今やることがあるからしっかりしてゆける
やることはすべて喜びにかわってゆくから
有難いし 楽しいものです。
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2011.2.6 |
人は たんたんと生きてゆけばよい
物事にこだわらず とらわれず
今という時を 大切に 丁寧に しっかり頂いてゆくだけで
十分 自分へも 自身へも礼してゆける生き方と言っていいだろう。
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