2015.9.28 |
生きるとは
自分にやる気を持たせ よろこびを持たせること
今を生きるしあわせを感じれば
もうその人は自分の為に生きてゆくでしょう
自分の為とは
つねに人がいて自分もいて
神の理の真に心をよせて生活を営み 温もりを分かち合う
その情(こころ)を育てるしあわせといっていいでしょう。 |
2015.9.18 |
何ごともあきらめずにやりとげる その気が大切
今 自分がやるべきことをやりとげた時
ほっとして 出来たというよろこびを感じる
人生はそのくり返しで 人は自らをたくましく清らかにしてゆく
あきらめてはダメ
人は 人間になる為この世に何回も何百回も生まれ変わり
本当の自分の中の真を浄化させる
その真面目さを身につけてゆくのがこの世といっていいだろう
この世は 試練のところと思えばよい。 |
2015.9.14 |
真実は一つ 今生きているということ そして素直こそ財でした
そこは 無限のたのしみ一杯のよろこびのところ
思いが強い者を見なければ よき人もたくさんいますから
その人達と共に物事を行い たのしんでゆけばよいでしょう
それが人との輪であり 人間の和とのめぐり合い
現実をしっかり神の真でやさしく包んであげ
安心して 自ら安心の心をかんじ育ててゆくことです
それを祈りといいます。 |
2015.9.7 |
人は この世の泥沼にもまれて成長してゆく
人は 苦と思う間もなく体当たりしてゆくしかない
今 もし苦しみが本物だったら
素直に 正しき神仏の言葉に合わせられるでしょう
そうでない場合は 本当の苦しみというより悩みといっていいでしょう
悩みは 自分という人に感謝し 励まし 気を安心させてあげ
今の現実に勇気を持って飛び込んでゆくしかないのですから
悩みと言っている段階では
人は 先ず 今の自分の捉え方 人に対する見方を
道理に照らし合わせる覚悟を持つことです。 |
2015.8.27 |
物事は 今何をやるべきかの必要性のポイントをさがし
一つひとつ あわてることなく あせることなく
大切に 大事に 丁寧に解決してゆけばよい
それが 人にも自分にも納得した生き方に通じる
神は そういう前向きな 真面目な人に光を与えてくれるでしょう
人のせいにするだけ 自ら神とのご縁を遠ざけることになる。 |
2015.8.20 |
人は その時 その時の時間を
大切に上手に活かすことだけ考えてゆけばいいだけのこと
すれば余分なことは ひとりでに忘れ消えてゆくはずだから
人は 気(感情)で成り立っている
その気を一つひとつ 情(こころ) 心にかえてゆけばよい
そのよろこびを身で感じるところに
その人は やる気と安心を入れてゆくでしょう。 |
2015.8.11 |
怒りをやさしさに
憎しみを温かさに
そして お互いさまと自己 自我の主張を忘れ
平凡 平穏を身につけ
この世に生まれた意味の自身の清浄に心をむけ
日夜成長してゆく自分に感謝できるように
自ら 人に話せる人になられるようにと祈る私です。 |
2015.7.31 |
生きるとは
自然の時に合わせ
一つひとつ大切に物事を身で受け
感謝と共に仕合せを知ってゆくよろこびである
そこには苦もなく 今やることでいっぱいとわが身で感じてゆく
木や花のように 時と共に育ち 種を残して地に帰ってゆく
人間だけがこの世で生きているのではなく
自然の理の中で 皆 今を生きているのです
すべて寿命という枠の中で——。 |
2015.7.22 |
《 レオ先生曰く 》
生きるとは
自分が どのくらい自分に奉仕してゆくかということ
そこには 無条件と素直とやさしさしかない
今 今 今の中で どのくらい上手に組み合わせ 工夫工面して
物金を活かし 人を活かす(人とよろこぶ)というだけのこと
それが出来たら この世のよさを大いに身に入れ
「よかった」「うれしい」「自分にもできるのだ」と
自分に勇気を持ってゆくことだね。 |
2015.7.17 |
この世は
やるしかない やるしかないと即今 即今でゆくこと
その中で自分をしっかり見つめ 活かし 感情を情(こころ)にかえ
神の理 真の心にそって
青空のような さわやかな 穏やかな自分に育ててあげる
それが生きる意義であり 張り合いになる。 |
2015.7.13 |
生きるということは
先のことを案じることなく 自分の役にそって(分相応)
今正しいことをやってゆけばよいということ
だからなんの不安もない
結局は 生きるとは 今の自分の動いた証を残してゆくということ
その中で 良い生き方だったか? 勝手な思いや願いで生きたか?
それだけのことだった
あわてずに 素直に天の真に心合わせてゆける自分になること
それが誠意ある人といえよう。 |
2015.7.2 |
肉体をもっている限りは
すべてに感謝 感謝で消化してゆくことが
神のいわれる調和の極美に通じる
すべてに感謝とは
すべてを無駄せず 最後まで愛しみ 慈しみ 尊ぶ
即ち 礼の心で行うことである
それを名人という
名人は自由人である
名人はつねに天と地に「礼と敬」してゆく方である。 |