2024.3.26 |
この世は さほど考えることのないところ
今来ることを素直に見て それをいかに活かしてゆくか
必要に応じて適確に対処してゆけばいいところ
その繰り返しでこの世を生き 卒業してゆけばいいところ
来世 また縁あるところに生まれ また新しい知恵を得てゆく
本来 人生はその繰り返しである
人は 肉体をもつと 自身の感情にふりまわされ
折角の問題集を難しくとらえすぎ
素直な生き方を見失ってしまう
精進とは 自我との対話であり対決である
つねに永遠のたましいをもとに考えてゆけば
悔いのない 心残りのない 精一杯の人生を送れるもの。 |
2024.3.18 |
人間は 自分の欠点 未熟さを正し
自分を成長させる為に生まれてきている
そのことに気がつかない限り
いつまでたっても心の休まらない日々を送ることになる
自分本位の感覚だけで 自らの汚れをかえりみず
尊い時間をむだに過ごしてゆく
なんともったいないことだろう
生命(いのち)の時間は 物・金には代えられない
生きている限り 自分に責任をもってゆけばいいだけのこと
あとは 天におまかせするしかない
本当に自分にとって出来ることは 生きている間だけのこと
そのことを自覚するしかない。 |
2024.3.8 |
私たちにとって教えを学ぶとはなにか?
心の迷いを振り払うためか
教えを鏡として自分の心を見るためか
新しき智恵を知り学ぶためか
すべては無に等しく すべて自分の中にある
自分の中に神仏の心ある限り
やらなくては罰があたってあたり前
罰とは 自分を戒め励まし救ってくれる神の愛と思う
罪は 人間の生き方により整理できるが
罰は 身を整理してゆく一つの節と思えばよい
罪は 今悪い心を出さず
今悪い行いをしなければよいだけのことである。 |
2024.2.29 |
天を仰ぎ 地を拝み 自分をしっかり見つめる
そして正しき生き方に素直にそってゆく
それを仕合せというだろう
仕合せは 時を正しくとらえ 時を活かすところに生まれる
たとえ失敗しても それは失敗ではなく
現実を知ったという 自分にとってはよろこびであるはず
そこには 人を意識することなく 時と自分との歩みがあるだけ
はじめは 人を意識するのはよいが
いつまでも人を意識するのは愚かである
なぜなら 天の流れは 人ではなく自分との調和であるから。 |
2024.2.26 |
本当の苦労は すべて自分の為の知恵になり
それが人の為にも役に立つもの
本当の苦労の意味を知らなければ
いつまでたっても自己満足だけの気の世界で終わってゆく
日常の中でその気を知る為に神仏の教えがある
神仏の教えは自分の気を映し出す鏡といえる。 |
2024.2.16 |
正しき生き方は
自分(たましい)を安心させてくれる
正しき見方は
自分に新しい自分を知らせてくれる
正しき行いは
過去を懺悔し 新たな正しき自分をつくることにつながる
すべてを正しく見 聞き 行うことが
この世に生きている一人の自分と自覚することにつながる。
生きることは なにも難しいことはない
難しいのは それを素直に受け入れない
今の自分よりも 自己-自我がつよい
過去を引きずる心(気)である。 |
2024.2.9 |
生きるとは
決して人ではなく 自分のあり方であった
人がどのような行動をしようが
自分の正しい見方 捉え方 行いで
自分の気を見るということ
その為に 神仏の英智は
私たち人間にとっては かけがえのない教えといえる
短い大切な時を上手に活かしてゆくために
もう一人の自分と出会い 共に学んでゆくために。
自分のわるさを変えようと努力し始めた時
前向きな素直な自分がそこにいると感謝せよ
それが修行であり 精進のはじまり。 |
2024.2.2 |
自分自身をたのしくするには
まず おしゃれをしよう 心のおしゃれを
いつも新鮮に物事を見て
いつも新鮮に今に向き合う
それが元気を呼び やる気をつくる。
自己 自我をよこにおき すべてを空にして
真実のみに心をよせてゆくことを信心という
神仏の教え(法灯)は そのための学びといえる
私たち人間は その法灯をたよりに
暗夜 迷いから救われるのである
法灯とは
私たち人間に真実を説いてくださる尊い教えである。 |
2024.1.25 |
神は いつも示し申されて 私たちの本心を見られている
そして日々の生活の中で 早く自らを清浄して
自分へのいたわりと戒めの中から
気楽な生き方に戻れと祈ってくださっている
本当に無条件の愛である
人は 人間になるための問題集を 家庭や職場の中でいただき
早く正気になり お互いの良さを認め その良さを出し合い
感謝できる人間同志になる その目的を忘れてはいけない
物・金は その尊い生き方の一つの手段ということ
自分の身巾の中で 工夫工面により
物・金をいかし 心をたのしんでゆけば
簡素の中に 真実ありでゆくだろう。 |
2024.1.17 |
生きるとは 作法を身につけること
作法とは より良く生きるための智恵
現実の中で
一つひとつ法(真理)を身で知り 法に身をゆだね
やがて心に一つの調和を現す。
なにごとも 真剣に取り組むところに光が見えてくる
その光は 今の気の悩みを消す智恵を与えてくれ
その智恵が 自ら実行する勇気を与えてくれる
ありがたい神の愛である
神の愛は 自分に対してまじめに取り組むところにうまれる
けっして 棚からボタモチではない。 |
2024.1.12 |
本来の自分の気質は 無意識な中にあるもの
意識している時は 本来の自分ではなく 作っている自分の姿である
常に正しき自分を作るために意識することはよいが
この世だけの強弱のために意識することは
また新たに自分に余分な罪また汚れを植え付けてゆくだけになる
その悪い種をつくらせないために 真理 神仏の英智が大切
真理は 生命の源と思えばいいだろう。
人が人を育て
人が人をだめにする
人即ち自分というものは
すじがないと つねに気がゆれて安定しないもの。 |