2017.3.31 |
天の人は 余分な気がないから 苦もなく迷うこともない
今の現実にそって 心から動いている「和」そのものの人である
天の人は 優雅で 簡素で 極美を求めて
調和そのものの生活をしている
好き嫌いという余分なものはなく
今なにをやるべきか?に対して 身と気が一体になっている
だから 天の人は つねに清々しい感じがする。 |
2017.3.24 |
うれしいこと たのしいことは 自分で作って得るもの
そこには それを感じてよろこんでゆく自分がいる
やれるたびに「あゝ出来た」「うれしい」と
新しい感覚を味わってゆく
それがしあわせと言っていいだろう
決して金や物だけでは得られない充実感 満足感がそこにある
余分な思惑 願い 思いのない 素直な自分がいる
そのよろこびを エネルギーの補給のように 自分の中に入れてゆき
人間としてこの世をたのしんでゆくとよいでしょう |
2017.3.17 |
この世に不幸はありません 不幸は自身の不行の現れですから
なぜそうゆう結果になったか?
その原因を神仏の理(真)で見直してゆく真面目さを学んでゆくことです
それが転生輪廻の中で生きてゆく姿とこころにおいてゆくとよいでしょう
人ではなく あなたの生き方から
すべては起こっているということに気を向けていって下さい
常に自分自身と共に「こころおだやかに」を
心の糧としてゆかれるとよいでしょう
身は いつも変化する安定しないこの世のくせがありますから
意識して自分自身を浄め清めてゆくことです
それを白神様は自立(自律)と教えて下さっているのです
即今 即今が
わが身に邪・汚れ入れず 魔を作らぬ真面目さと誠意と言っていいでしょう。 |
2017.3.10 |
人は 肉体のくせ(感情)により 気まかせに変化し生きてゆくもの
良き生き方をするには 神仏の英智を身に入れ
自分を清浄し 難をつくらぬ生き方を心掛けることです
神仏の英智を 新しい智恵として
自らのたましいに入れてゆく それを仕合せといいます
自分にとっては一回きりの短いチャンス(人生)を大切に
強弱にのまれない謙虚で慎重な心を求めて自分を育ててゆきましょう
今のあなたが 今のあなたをつくっているということを忘れないで。 |
2017.3.3 |
神仏の教えは 和の中に自分を導いてくれる
即ち 自分への礼と敬である
和を得るには 神仏の教えにより我が身をつねに調整し
汚れなき捉え方 行いを心掛けること
そして自らを省みる思いやりを学ぶことである
思いやりとは 願う気 思う気ではなく
その人の良さ悪さを知り 励ましてあげることであり
決してその人を甘やかすことでもなく 干渉することでもなく
冷静にその人の本分を知るところから始まる。 |
2017.2.24 |
神仏の智恵は 魔法の杖
その仕合せの智恵が四苦八苦を解決してくださる
神仏の智恵は 人間にとっては宝の山
その宝は 神仏に頼って得るものでなく
個人の汗と努力と真心により得られるもの
決して思い願いの情だけでは解消しない
情はかえって真実を遠ざけてしまう恐れもあるから
そのところをしっかり知っておかないといけない。 |
2017.2.17 |
身(体)を大切に 感謝して 丁寧に動いてゆく
それを自愛という
やるべきことをやってゆく
そこには 希望とやれたというよろこびがある
やるべきこととは
今生きている環境の中で自分と向き合い
自分の役に合わせて動くことをいう
人は役によりいろいろな事柄を身に入れ成長して
この世を無事に流れてゆけるもの
いつも 心に神の真を入れてゆく素直さがあるかぎりは――
それを「時にそう」という
神の真は 公平 対等 平等の平和そのものであるから。 |
2017.2.10 |
すべてこの世は気から成り立っている
その気を整えるのは 神の理しかない
神の理を人は真(真理)という
真は即ち愛であり情(こころ)である
人は自分のはかりである 人にのまれている時は
その者は自分への誠意を知らず 理性より感情で人を見てゆく
理(真)に気を向けず この世の価値を知らず 自らを理から遠ざけ
無駄な生き方をよしとする 非常にもったいない時といえる
真に気を向け 物事を一つひとつ慎重に扱う心になれば
その人は いつの間にか自分という山を登り 天(空)に近づいてゆくであろう
そこには澄みきった青空があり おだやかなこころがある
人はその平穏を求め
日常の中に苦 難をつくらないよう 自らを尊び律してゆく
神仏は 人にそのこころを望まれ祈って下さっている。 |
2017.2.3 |
気(感情)から教わるものはないが
気をより活かすことはできる
気は 時によって感動という又はうれしいという変化を
自分の中に智恵として入れてくれるから
感動やうれしさは 気を情(こころ)に変えてゆくきっかけを与えてくれる
人は この世に存在している限り
肉体の世話になってゆかないと生きてゆけないが
その肉体によって 気から心へと成長するきっかけを頂いているともいえる
大日如来様の言われる
「日々を大切に扱ってゆく誠意又は まごころが 六根清浄のあかし」
をこころにおいて日々を過ごしてゆくことを祈ります。 |
2017.1.27 |
無理せず 無駄せず ずるせず
精一杯の心で 一生懸命生き
ご自分に負担をかけずに日々を過ごす
すれば 必ず 神は良い道を開けてくれますから
すぐに結果を見ようとする慾は捨て
今 今 今に心寄せて 正しき生き方を行ってゆく
邪を入れず 汚れつくらず
我が身の為に思いやりをもって悔いのない生き方をし
あとは神さまにお任せでいくこと
「あゝ今日も無事終わった」の繰り返しで この世を見て知って味わい
前世の方よりもお土産を増やしてゆきましょう
経験により現実を知るよろこびで
真理と照らし合わせてゆきましょう。 |
2017.1.20 |
今必要なことをサッサとやり
身軽に 気軽にしてゆけば
自然に事が治まり 流れを頂いてゆきます
「今日一日無事に過ごせ ありがとうございます」
その繰り返しで生涯を終えてゆく
それが自然な流れということ
積み木のように 土台(真)をしっかり心において
素直と正直で真にそってまっすぐに日々を積み重ねてゆく
それが私の生き方。 |
2017.1.13 |
私の生き方
ざんげ(自分の身に対して)
誓い (正しき道を歩む)
感謝 (今生きていることに)
この三つを土台として この世を大切にていねいに味わってゆきます
日々を新鮮にとらえ すべて公平で 人にとらわれず
素直に正直に動いてゆきます
願い 思いなく 今にそってゆけばいいだけのこと
生きてゆくって
生き(息)ていて 活かしてよろこぶことと知りましたから
もう悲しみはつくらず あっさり現実にそってゆくのみです
人も すべて―――。 |
2017.1.5 |
この世は 一人一人が特徴 取柄を出すことで成り立っている
それが社会である 社会の一員になるには
人に迷惑をかけず 精一杯の素直さで自分自身を守り
人との交わりも必要としてゆくことである
自分にとって 人は決して煩わしいものではなく
むしろ 自分を育ててくれる存在といっていいだろう
生きるということは
現実の中で 一つひとつの捉え方により自分を清浄してゆくことでもある
清浄とは 神の心にそってゆくことである
即ち 和であり 流れをつくる清き素直さと正直さをいう。 |