2019.9.26 |
冷静とは 適確をいう
自分をいたわり 自分を愛しむには
その冷静さがないと本物ではない
それを愛という。
人はやること(役)があるから 自分になれる
やることは 不足 愚痴でなく ありがたいことである
不足 愚痴は
自分に 今汚れ 悪(垢)を作ることである。
この世は 宿命にそって
枯木になるまで行が出来れば(毎日を受け動ければ)
大往生間違いなし。 |
2019.9.10 |
本来の信仰は 心を求めるもの
教えをもとに 自分の良さ悪さを見つめ
良さは 身惜しみ気惜しみせず 人に提供し
悪さは 人に迷惑をかけないように消化し
責任ある人になるよう努力する
人に対しては 励まし 勇気づけ
永遠の道の中の一時を
余計尊く大切に日々を活かすように
自分に呼びかける自主性を養う
それが本来の信仰の学びと思う。 |
2019.9.5 |
信仰とは 人間になる学びをいう
人間とは お互いに自他の安全を考え
真面目に行動する謙虚さがある人をいう
花に それぞれいろいろな特徴があるように
人にも それぞれの特徴がある
その特徴 即ち自分を知り
人でない自分になり切ってあげないと
本当の意味の安心は計れない
安心とは 自分を活かしてゆくところに生まれる
自分を知る為に人がいてくれると思うと ありがたい
人は それぞれの見方を気づかせてくれる。 |
2019.8.27 |
心ある人は
ごく当たり前に前向きに現実を受け入れ
躊躇せず 人と語らって物事を行ってゆく
心ある人は
決して自分勝手な気のままではなく
摂理と道理の中で自分を見失わず
さりとておごらず物事を行ってゆく人
心ある人は自尊の人
たとえ失敗しても 素直に認め
人に対しても素直に謝る心と姿がある
心ある人は
完璧な人でも 完全な人でもなく
この世に生まれ生きてゆくことに忠実な人
「らしく」「分相応」「礼と敬」が
自分の中に少しでもあればいいということです。 |
2019.8.19 |
心を求めて生きてゆけば
さほどこれとない
心は 自己 自我でなく
現実を正しく見て 正しく歩もうと
意識して動きだすことだから。
心を求めてゆくには
まず 物事を明るく捉えることから始まる
そして 義務に対しては
責任を持ちやりとげる自覚からがスタートである
義務はあたり前 それから先が心ということ。 |
2019.8.7 |
やりがいのある生き方とは
その時々の時と場所と自分の役をよく見て
つねにベストを尽くしてゆくこと
時を正確に見られないと出来ない。
精進とは
我なく
時にどのくらい素直にそってゆけるか?
ということだった。 |
2019.7.29 |
人をあてにするから怒れる
人をあてにするから不足に思う
本来 人は人をあてにしてはいけない
社会においても 家庭においても
人間は助け合って成り立っているのだから
それ以上 望み 願うのであれば
こちらから素直にお願いするしかないのだ
それが人の道といえる。 |
2019.7.17 |
真の道理は いつも自分に語りかけてくれる
真の道理は 神の心の現れと思われたらよいでしょう
この世は
しあわせになり 心を知るために生まれてくるところ
そして 神の真を感じ身に入れてゆくところ
汚れの浄化を志し この世に生まれたことに気がつき
毎日をおごらず おびえず ひねくれず
自らを整え 真のよろこびをいっぱい入れてゆきましょう
本当の自分に出会う為に
金は活かし使い切り 物は活かしよろこびをつくり
人とは交わり 自らを整えて
いつも前向きの善き人 良き人 おだやかな平凡な人に
自らを育ててゆきましょう。 |
2019.7.10 |
あらゆる問題は
自分の未熟さと悪さ(欠点 ずるさ)を知らせ
向上 懺悔の扉を開いてくれる
大変貴重でありがたいことだ
逃げないで立ち向かえ。 |
2019.7.1 |
物事を行うにあたって
用心深さと慎重な姿勢が大切
警戒心は 道理の学びには入らない
警戒心は 自己自我のもの
自他共の安心・安全にはならない。 |