2018.12.28 |
人は皆 生まれ 生きて そして死んでゆく
その間にいろいろの思いをしてゆくが
その思いすべては 自分の気により変化しているだけ
そのことに気がつけば
余分な先案じやおびえはなくなるだろう
折角 目的をもってこの世に生まれたのだから
いろいろな場面で 人や物事を通じて
新たに自分の気質・性質を知り 神仏の智恵を知り 求め
正しき生き方に意識してゆくことです
人は与えられた役により自分を整えてゆける
自知とは 今の立場即ち役を認識して動いてゆく中で
自らを意識し育ててゆくこと
自分に親切な人は 自分に責任を持つものである。 |
2018.12.20 |
人は 平凡な中の平温(平穏)な生活が一番
お互いにかばい合うではなく
いたわりあい 励ましあって
人間同士として必要な人になってゆければ結構。
快く生きてゆくには
自分一人が責任を負わなくてもよい
自分の責任ある役をこなすには
お互いが助け合ってゆける人になってゆけばよい
それが家庭や社会の仲間同士である
今の自分が動きやすいように 身軽く 気軽くして
常に 今来ることに前向きに取り組み 冒険しながら
一つひとつ身で確かめ 納得してゆくところに
自信とやる気が育ってゆくでしょう
一寸先は闇ではなく
一寸先は仕合せいっぱいと
明るくとれるご自分を育ててあげることである。 |
2018.12.12 |
人は 人生の中ですべての節を越えて
本来の自分にかえってゆく
この世に生まれた意味を思い返せば 苦しみも悩みもなく
明るい未来の自分への贈り物ができるはず
自らの欠点を消すことに心を傾け
今起こる感情を
やさしさ 温かさによって安定させてあげればいい
ただそれだけのこと
人は 自己自我にこだわり 今を素直に迎い入れられない
それだけ真実の生き方を知らぬ為 余分な悪あがきをしている
そこのところを 勇気をもって見直し
本来の自分の為に 今と向き合ってゆく人になれば
今 必要なことに気がつき いつの間にか迷い悩みが消え
今をいきいきと ご自分に立ち向かってゆくでしょう。
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2018.11.30 |
けじめは 自分を汚れや害から守るはかり
けじめは 道理にそう神仏の教えの初歩
人に迷惑をかけず 自分にも汚れ入れぬまこと(真)の心である。
けじめは 几帳面ともいえる
物・金・人 すべてに礼をする
そこには無駄のない心があり
無駄のない行い 姿がある。 |
2018.11.16 |
肉体もった人生は一時でも
その経験 感覚は永遠の中で生きてゆく
だから気抜かず 気入れすぎず
今 今を大切にしてゆく心あれば良し。
花は 土と水と太陽があれば十分咲いてゆける
人間は 愛と礼と敬があれば 人との和が育ち
うるわしく咲いてゆける。
義は ご自分のたましいを守る為の責任である
決して徳つみではない
たましいに借りつくらぬ為の自覚であろう。 |
2018.11.9 |
己があり 我があり 私があり 自分になる
自分の中には いろいろ気があり質がある
それも今始まったことではなく
前世の因の素から始まっているもの
今生きている自分は
前世の人達の生きた様がすべて詰まっている
今の自分をまずきれいにしてあげようという善意が
今の私の感情を安定させてあげることにつながる。
真があれば 必ず道が開ける
邪あるもの 相手にせず
常に真実にそう学びをする。 |
2018.11.1 |
働くとは
お金を得るだけのことではない
働く中で 人間の心や気を見ることが出来る
お金だけを意識する人には
尊い人とのつながりや物金を活かす感覚は生まれてこない
辛苦愛楽 喜怒哀楽がその中にある
そして人とのつながりや物金を活かすことによって
この世に生まれた因 即ち宿命を知り 自らを戒め律する
それをまじめという。
人にとって肉体は一時的なもの
たましいは永遠のものである
それが理解できた時 生きたことの価値が理解できる
死は悲しいものではない。 |
2018.10.26 |
気(感情)は浄めるもの
浄めるとは 気を鎮めることである
心は清め
つねに無慾 即ち自尊を育む。
人との出会い これはとても貴重なこと
けれど人にのまれてはいけない
邪なき人は
いつも公平 平等の中で自分の役を知り
互いに成長させてゆく同志であり仲間である。 |
2018.10.18 |
「生きるもと」
日々を大切に受け
今 今 今に真剣に立ち向かい
この世でしかできない五感を通しての自身の浄化と
自分自身の向上を常に心に置き 進み 歩む
それが 前世の人達 今世の父母への礼と敬と義の心身である
無理せず 無駄せず 精一杯の心をもって
今日一日 今日一日を大切に歩んでください。 |
2018.10.12 |
現実に対して素直になり 自分の気を空(から)にすれば
すべて明るく前向きに進んでゆくもの
現実ではなく 人の気にのまれ 気を入れすぎると
自己・自我の偏った捉え方になり
自ら苦しい自分に追い込んでゆくもの
どちらにしても 人ではなく
自分を大切に生きてゆくかどうかの有り方である
幸も不幸もすべて己のまいた種の結果ということ
人を恨む前に 自己自我の醜さを見つけよ。 |
2018.10.3 |
気を整える ゆったりのどかな生き方
自分のことさえしっかり出来ない者が
人のことをとやかく言う資格はない
人のことに気がつくように
自分の今置かれている立場 役をもう一度見直し
自分としてはどうか? と自分に問うことである
それが気を整えることにつながる
すればお互いに感情でなく心で語り合える人に成長するだろう
「親しき中にも礼儀あり」と
すべてにけじめを持つ真面目さから始めることである
自分の役を自覚し 自他のない真の心がそこに育ってゆく。 |