2023.9.12 |
人は 生きる気力があれば大丈夫 大丈夫
生きる気力とは 今自分のやるべき役を見て動くこと
そして それを邪魔する自己・自我との戦いをしてゆき
人間としてのまじめさを学ぶ。
人間とは
今の時を大切に受け
自分を向上させようと精進する人をいう
そこには 時を無駄なく活かすことに
よろこびを感じる素直さが見られる
それが 神仏の心を歩もうとする人といえる。
|
2023.9.5 |
人の生死は 人間ではどうしようもないが
病気 災難は ある程度ふせぐことが出来る
自分自身の気を浄め 心を清めてゆく
その勇気とまじめさがあれば
魔も 寄りつく隙がない。
真実を見つめる
これを素直という
素直は 自分の願いなく 今の時を見る心
それが 空の心であり
その時 自分は道理の道にいるということ。
|
2023.8.25 |
人は この世で 自己・自我の感情を整理し
苦の因である自らの汚れ(おごり おびえ ねたみ ひがみ)を浄め
物・金を通して 人との交わりの中から
人との輪 そして 和を学ぶとよい
その永遠の学びの中で
人は 気を心にかえて 人間として成長してゆく
この世は その為のところと早く気がつき
余分な感情に振りまわされないように 自らを戒め律し
人間として 一人一人助け合い
この世をたのしく過ごしてゆける人になることです。
|
2023.8.21 |
六根清浄とは
今生きている自分の肉体のくせに振りまわされず
たましいの中にある欠点 悪にのまれず
自分を害から守る誠意と思いやりの心を持つことをいう
つねに新鮮な感覚で 汚れ 邪を入れない勇気を持つこと
それが 心という よい生き方なのです
病気 事故その他不幸な出来事は
決して悲しむべきものではなく
自分の生き方を見直すための
天からのありがたい時間と思えばよいのです
かならず どこか無理をしていた自分があり
そのことに気がついたことに感謝すればよいのです
本来 この世は 自分にとって たのしい よきところですから。
|
2023.8.4 |
自分の気持ちよい生き方が良い(正しい)とは限らない
自分の気ではなく
天の心にそっていなければ意味がないのだから
天の心とは
自己・自我にとらわれず 常に公平・平等・対等を旨とする
物事の捉え方が 天の心にそっていなければ
人間として 生きている また生きてゆく価値がない
神仏は 未熟な私達に 愛を説き
合理の教えを伝えて下さっているのだから…
そのところを常に心の糧として
自分の中に邪をつくらず 邪にふりまわされない
そうゆう自分になることがスタートである。
|
2023.7.20 |
失敗や 間違いを恥じることはない
失敗や自分の犯した間違いを
隠したり 現実から逃げようとする自己を恥じよ
失敗により 現実を知り 物事を学び
自分自身が育ってゆくもの
失敗や間違いにより 自分の未熟さを知ったということ
自己・自我が強いと 勝気になり 自分の思いにこだわる
なんともやっかいなもの
人は 素直に今という無色を認めたくないようだ。
|
2023.7.18 |
人との輪そして和を求めるものにとって
日常の中には 自分自身の向上の為の贈り物がある
その贈り物とは
物事の道理を知り その道理に心をよせ 身で動き
神仏の英智に触れ 気浄め 心広くしてゆく
その安心・安定の生活を営むことである
それを「自知・即今・和」と言う
行 即 智 即 天への道である。
(行動の中から智を知り 智の中から真理を知る)
|
2023.7.10 |
人は 観念してしまうと 気が安定する
観念するとは 現実の中で
自分のおかれた立場に諦め納得した時に起こるもの
諦めるとは 物事を明らかにして覚悟すること
自己・自我 自分の悪さを横に置いた時に起こる情。
気のままに 人に迷惑をかけたり いやな思いをさせるより
人に親切にしてゆく方が 気がらく
結局 親切は自分自身の今の気を見ることができる
戒めは そうゆう時の言葉
そして その行いを通じて
自分の中の邪を整理してゆくところを律するという。
|
2023.6.30 |
迷うことは もったいない
悩むことも もったいない
迷う間も 悩む間もなく
すぐ動いて 問題を解決するとよい
そのほうが時を活かすことになる
新しい智恵を知り 勇気をもって動き出せば
今 迷い悩むひまがなくなるから
ともかく自分の為に 動いてあげたらいいと思う
うかうかしていたら もったいない もったいない
やることがいっぱいあるから…
しあわせがそこにあるから…。
|
2023.6.23 |
自分を救うものは
自分への誠意とまごころである
それが 神仏の心にそって
自分を整え 自分を磨いてゆく勇気といえる。
今 自分の分として
真面目に役に取り組んでゆけば
必ず道が開けます
まず 苦や自分の欠点から逃げないで
物事に取り組むことです
それが 自知 即今になりますから。
|
2023.6.19 |
神仏は
自分を知る為に 人がいて物金があると言われる
そして その人・物・金との輪 和を
どのようにして得るかを教えて下さっている。
自分の中にある 欠点 汚れを自ら浄化する
それが六根清浄といえる
六根清浄により 自分の今の有り方を知り
自分の苦の因を知ることが出来る
神仏の教えは
六根清浄を早く身につけるためにあるのです。
|
2023.6.5 |
人間は欠点があるから生まれてくる
生まれた以上 なにかあると自覚した方がよい
また いくら良いたましいでも 肉体を持ついじょう
自分の気が 父母や育った環境により
おごりをつくり 新たな難を呼び 汚れをつくってゆく
人は まず 肉体(五感)の浄化から始めなくてはいけない
即ち 六根清浄から始めよということ
六根清浄が 人が人間になってゆく為の道すじ
人間になれば
自分を見る品性(知恵)が少々出来てくる。
|
2023.5.24 |
心を学ぶものへ
人は自分の為にいてくれる
物は自分の為にあり
金も自分の為にある
ただし 生きている限りのものとわり切り
人・物・金に執着せず
自分の心の成長に活かしてゆくとよい
つねに 神の理に基づいて
この世に生まれ生きる意味を求め
それぞれの分で時に合わせて生きてゆく
それが心を学ぶものの資格といえる。 |
2023.5.12 |
人は なにかにつけ 気(感情)により
よろこびや悲しみ すべての情が左右される
そのあばれ馬のような気を調整するには
人は 心 即ち誠意を必要とする
自分(たましい 心)と自身(肉体のくせ 気)を一体にするには
その人が 自分に 自身に思いやりを持つところから始まる
だから人は 「即今」「即今」「即今」今しかないと
自分に言い聞かせ 戒め律して 動いてゆくしかない
それだけ この世は油断できない泥沼ということだろうか? |
2023.5.8 |
生きるとは
今を活かしてゆくこと
人・物・金を通じて
自分を活かすことをよろこびとしてゆくこと
疲れた時は ゆったり ゆっくりとして
気を楽にして 平穏な生き方を心がけ
気を心にしてゆけば 自分に負担はない
ゆったり ゆっくり そして凛として。 |
2023.4.21 |
神から見れば 人も物事も
なにが良くてなにが悪いということはない
与えられたその時々の問題や物事を
真剣に自分の責任と義務で
いかにやり切ってゆくかだけである
理にそって正しくことを行った人は よい人
自己自我にとらわれ 物事をはかろうとした人は わるい人
と 区別されるだけ あたり前の教えである
結局 よい人わるい人は 自分の心の中から始まるもの。 |
2023.4.13 |
ありのままの中に やすらぎがある。
まごころは
決して人の為にあらわすものではない
自分の心に 安心とよろこびをもたらすものである。
生きる自体 まず自分の分に立ち向かえ
その為に 人にお願いするところは素直にお願いし
礼と敬をもって貸し借りのないように過ごせばよい
物もお金も自分の心をあらわすためのもの
そして自分の気を安らかにしてくれるもの。
|
2023.4.7 |
人をいかし 物をいかすことが
自分をいかすことにつながる
自分の良さは
人に伝えていかされてゆくもの。
所詮 生きるとは自分に立ち向かってゆくこと
それがわかれば 余分な苦浪(苦労)をしなくてもよい
苦浪とは 無駄に自分に汚れをつくり 難を作ること
その自覚により 一つの道が生まれ 開かれてゆく
神仏の英智は 尊い本物への導き(道しるべ)
大切に頂き 学び
身を通して 神仏の心にふれてゆく。
|
2023.3.27 |
身を通して経験し 気が納得してはじめて
たましいの方に入ってゆく
なりゆきで覚えたものは
身にもたましいにも入らない 又 入れないもの
優れた職人は 技術を身につけるために
日夜 学び行い 心に入れてゆく努力する
体で覚えるとは そうゆうところから芽生える
神仏の智恵の学びも同じ。
|
2023.3.17 |
神仏の英智は 迷った船にとっての灯台のように
私たちの心の迷いを照らし導いてくれる光といえる
心の中に 英智という光を求めてゆく限り
人は 自らの宿命を知りそして整え (自知・即今)
自然に精進の道を歩むだろう
生きるとは これでいいということはない
だからこそ 人生はやりがいのあるものといえる。
|
2023.3.10 |
時の中で 自己自我を横に置き
現実に合わせ 真理にそってゆく それが合理
時は いつも公平であり平等である
合理を学ぶものは
自分のやるべきことを行い
人に迷惑をかけない思いやりを持ち
今 何をやることが自分を活かすことになるかを考え
人に甘えず 人との輪を大切にする人になること。
|
2023.3.3 |
心身共に健康に過ごすには
体が疲れた時には 体をいたわり 癒すこと
心(気)疲れたる時は 心を癒し 浄め
自分の心の中を常にすがすがしく保つとよい
それが自分と自身への感謝であり
自分の肉体と感情に対しての 私の仕事であると自覚せよ。
合理とは
真理に対して
自分の気がどれだけ確実にそってゆけるか? という
神からの問いかけである
合理 即ち光 光 即ち流れである。
|
2023.2.24 |
精神(こころ)の進む先に仏あり
精神(こころ)とは
神仏の意図に心合わせてゆく汚れなき姿
そこには苦はなく よろこびと己に負けない強さがある
仏は
すべてを受け すべてを活かす よろこびの人
全身が 善気に満ちあふれ
たましいは よろこびにあふれている光ある人
それが因縁浄化のあかし。
|
2023.2.13 |
この世には 本来苦はなく
苦と思うその気は おびえから出ている
人生に失敗はなく 未熟なために出来ないだけ
だから悔いることも おびえることもない
大事なことは 真剣に一生懸命やれたかどうかだけ
あとは 一つひとつ本物を知るまで
根気よく自らを育ててゆきましょう
種を蒔き 育て やがて花が咲き 実のなるように
この世は 人との輪により
皆で力を合わせてゆく学びのところ。
|
2023.2.3 |
教えを知り学んだ人は
物・金の意味と使い方を知っている
生きているということは この世のほんの一時だけのこと
物も金も その一時に必要なだけ 執着するものではない
だから 自分の心を豊かにし 身につくものには 快く使える
そしてそれが 品性を豊かにすることにつながる。
|
2023.1.30 |
物事がスムーズに流れない時 なにか壁にぶつかった時
「あわてない あわてない」と自分に呼びかけてあげ
自分を守るより 人に対して迷惑をかけてはいけないという
あたり前の心になること
そして 一つひとつ現実をふりかえり
気あわてず 気あせらず
粗相なくゆけるように考えることが第一
すれば 自然に物事を振り返り確かめて
その原因を見つめることが出来る
人の目を気にせず 人の気にのまれない自分をつくること
それがその壁を打ち破ることにつながる
「あわてない あわてない あせらない あせらない」
と 自分に言い聞かせてゆくことである
自信は
一つひとつ失敗して体験したあかしである。
|
2023.1.19 |
いいことだけやってゆこう
それが自分の気が休まることになり
自分がよろこぶことになるのだから
いいこととは 天の心にそってゆくこと
そこには 人との輪があり 和がある
お互いの取柄を出し合いながら
一つひとつ 実ある自分をつくってゆくことが
天に素直にそっているあかしの姿と思う。
|
2023.1.16 |
この世で大切なことは
この体をいただき 生きているということ
そのおかげで 人と交わり 物事を知り
その経験の中から 心動かすことが出来る
この世に生を受ける それは神様の贈り物
その生を大切に扱い いただき じっくり味わうとよい
そこには 人間の小さな慾望は通用しない
すべては神様のはからいによるもの
だから 息あるうちに 我身を大切にし
心身共に永遠の道を歩む心を養うべし。
|
2023.1.5 |
人間
常に精一杯生きている人になれば
前世の人も 父母も 神仏も 許して下さるだろう
そして 安らぎの世界へ導いて下さるだろう
今を いかに真剣に まじめに生き
人や物事に出会ってゆくかを
もう一度自分自身に問うてみてもよいと思います。
私は 心よい生き方しかしない
それが一番私自身の生き方に合っている
余分な神経は 魔を呼び 苦を呼ぶものだから。
|
2022.12.22 |
人は とかく余分なことをやりたくなる
それだけ自分を知らないということ
人間は 物事を見定めて 余分なことをせず
あっさり スッキリした自分を作ろうと努力する。
健全な生き方をするには 神仏の心が必要
神仏の心を知れば
おのずと無駄な考えや 余分なおびえ不安が消える
人は決して強いものではないが
責任とやさしさが 自分を律することになる
それが 強い人ということ。
|
2022.12.9 |
人間 やることがいっぱいあるからうれしい
あれもこれもと気があわてるだけ
うれしさがいっぱいある
人間 やることがあることが
幸せということだろう。
人は
生きることに怯え 老いることに怯え
病に怯え 死を怯える
もういいじゃないか 正しいことをやり切って
後はどうなろうと おまかせして
自分を見てゆけば……。
|
2022.12.2 |
身軽な人とは
自分としてやるべきことをやり 自分に感謝できる人
そうでない人は 素直に自分をみて 自分の気に聞いてあげ
早く気を軽くしてあげること
それを修養といいます。
人は 余裕のない時こそ
その人の本体(本心)を知ることが出来る
余裕ある時は 自分を飾ることも出来るが
その時々の物質的な捉え方により その人の品性が見られる
品あるもの いつも冷静で 心穏やかなり。
|
2022.11.17 |
人は 常に気という袋を空にして
たのしいこと 良いことをいっぱい詰めてゆけば
自然に 元気とやる気とよろこびにあふれてくるもの
その反対に
願いや自己中心の理に合わないものを詰め込んでゆくと
自然と 人に対して怒りやいら立ちが増え
あげくの果てに 人のせいにして自分の強情を押し出してゆく
すれば人からも嫌われ
余計自我に固執し 孤立した自分をつくりだし
尊き時間を無駄にし 苦しい辛い人生に日々過ぎてゆく
それだけ 気とは厄介なもの
そうゆう時こそ 勇気をもって法光に近づいてゆけば
気が心へと解放され 人間らしい感覚に戻ってゆく
もともと人は 人間になろうと生まれてきているのだから。
|
2022.11.14 |
私は 私を見つめ
私は 私を認め
私は 私に対して敬してゆきたい
そして共に生きていると実感して
この世をたのしみ 知ってゆきたい
つねに天の心にそって。
誠心誠意で生きてゆけばよい
それが 自分というたましいの自立であり
自尊である
自尊とは 自分を大切にして汚れをつくらないこと
すべては 今生きている自分へのプレゼントといえる。
|
2022.11.4 |
生きることの根本は
まず健康であること
そして今やることによろこびをもつこと
そのくり返しの中で 少しずつ自分を知り活かしてゆく
その安定した心で 日々新たに迎えられる人になればよい
案じること自体ちっぽけなこと
それがわかれば すこやかに動けるもの
「健全な心に 正しき感覚が出るものと知れ」。
|
2022.10.24 |
生きているから 物金が必要なだけ
人は 生きている間だけのことを心配してゆけばよい
今日一日 今日一日 精一杯の心で
慾をかかず 心の欲(智恵)を大いにかいてゆけ
人に 迷惑をかけなければそれでよい
もっとよいのは 自分に迷惑をかけないように
サラサラとよどみなくゆける人にまずなることだ
慾望 願望があるかぎりは駄目
希望と対等な要望はよいが…
すべてありがたいと取れれば 迷いも悩みもなくなる。
|
2022.10.14 |
人の為にやっているのだと錯覚し
苦労しなくてもよいことで自分を苦しめ
あげくの果てに人のせいにし 自分を甘やかす
その悪いくせが自分の中にある
その悪を払うのが 真理であり 勇気である。
自分は 今やるべきことをやっているか
と 自分の心に尋ね動く人を
仕合せの人という。
|
2022.10.11 |
あせるな 嘆くな
今を活かせば そんな〝ひま〟はない。
花は 人に奉仕の心を
動物は 人に身巾を教えてくれる
人は 人に何を教えてくれるだろうか?
|
2022.10.3 |
つねに自分の心に希望をもたせてあげること すれば 心落ちつき 安心して
今 やれることをやれる
人間とは そういうものだとつくづく思う。
人は 心の中によろこびをもってゆかないと
不安になり おびえを感じる
弱いものほど 余計 今 動くことだ
そして 一つひとつ自信をもたせてあげ
おびえ 不安から離してあげることだ
それが自分への親切というもの。
|
2022.9.26 |
自分に発破をかけ励ますということは
自分を案じ大切にしているあかし
ただし 目先の慾にでなく
永遠の因のたましいの為に考えよ。
この世はうれしいことにあふれている
正しき心と温かい心でゆけば
神さまがいいようにしてくれる
それがうれしい またたのしい
まず 自分の気をうれしく たのしくさせてあげること。
|
2022.9.14 |
私(感情)は つねに私(たましい)でゆきたい
たましいの私は
良いことも悪いこともわきまえているから
人は なぜ迷ったり悩んだりするのか
悩む前に 迷う前に
今どうすればいいだろう という
自分へのやさしい言葉はないだろうか?
サッサと動けば 幸せが来る。
|
2022.9.2 |
人間は
自分の生まれた意味に素直になり責任をもってゆけば
人や物・金にまどわされず
常に正しき判断に心よせてゆくだろう
それには まず自分に対しての誠意を持ってあげる義が必要
物・金の価値は価値として認めるが
それも 所詮生きている限りのものである
あまり先案じせず 正々堂々と生き
神仏の心に身をよせ 心よせて おびえを捨てさり
神と縁ある人間を 自分の中につくることである
神の心にそってゆくものは 決して不行にはならず
おだやかに この世のよさを身巾の中で活かしてゆくだろう。
|
2022.8.26 |
この世は 舞台と一緒
脚本 監督 舞台づくり 俳優
すべて 皆の得手で成り立っている
社会の仕組みの縮図のように。
人は あたり前の常識を学び 身に入れてゆく
その常識を知ったならば
あとは それぞれの気質 特徴でつやを出してゆく
それがその人なりの香りといえる
いずれにしても たましいを汚れから守ってあげようという
やさしさ 温かさがないと 感じ 出来ないもの。
|
2022.8.18 |
人のせいにするのは
人をあてにしている甘えの気である
人は 意味あってこの世に生まれ この世を生きていく
本来 人のせいに出来るものはなにもない
人は 自分の汚れ・悪を整理し
前世の借りを返すためにこの世に来ているのだから…
肉体をもつことにより感情がうまれ損得の計算が始まる
そこでその人の品性と肉体との対決により
今その人の品格またその人の努力のあかしが見られる
自分のたましいを大切にし 感情に振りまわされないこと
そのために 自分を知り 自分を律してゆくといいと思う。
|
2022.8.5 |
私の中に 私の知らない私(良心)がいる
私の知らない私なのに 私のことをよく知っている私
私の中の私(良心)が
「今どうしたらいいか あなたが一番知っているはず
自分の心に素直になれば 余分なことを考えず
やるべきことに意識がいけば 必ず道が見つかりますから
その道を信じ あわてず一つひとつ心に入れて歩めば
あなたは 心落ちついてゆけるから」と
私の中の私が励ましてくれている
私の中に もう一人の私(良心)がいた
良心は 常に 冷静に 私を見つめている。
|
2022.7.26 |
義(やるべきこと)をやって
己を整理し
敬を行って
自らに安心を与え
礼をして
自分自身を尊ぶ。
|
2022.7.21 |
人は 感情(気)があるから
ねたみ 嫉妬 やきもちはあたり前
その感情が 自分への挑戦にもなるし 負担にもなる
すべては 神から与えられた問題集である
その問題に挑戦し 人に対してうらまず ねたまず
己の悪さ いたらなさを知り 努力し 心を知る
その精進する姿が 今世この世に生まれた意味といえる
人は 一人では生きられないと知り 自己・自我に打ち克ち
礼と敬により因縁を浄化してゆく
それが 自尊 自立ということ
生きるとは
感情を感性にしてゆく
ただそれだけのことである。
|
2022.7.11 |
きれいな心で 良い 悪いをしっかり自覚し
失敗を恐れず 今を大切に生き
本物を自らの感覚で知ってゆく
それを精進 また美しい(調和)あり方という
日々を 几帳面に整理整頓して
清らかで楽しい生活を心がけてゆく限り
人は 現実と向き合ってゆく真剣さがそこにある
そして六根清浄 六根清浄と
自らの気を整え お詫びしてゆくだろう
四つの言葉で。
(ごめんなさい ありがとう すみません お願いします)
|
2022.6.27 |
人は いずれあの世に帰り
この世での自分の生き方に合ったところに送られ
この世に生きていた時につくった汚れの浄化の道をゆく
それを因果応報というでしょう
自己 自我の欠点にのまれないように
しっかりした温かさ やさしさの心を知り
「浄化は 自分を尊ぶところから始まる」
そのことに早く気がつくことを祈ります
もとの自分自身になってゆけるように。
|
2022.6.17 |
私の心は
皆さんを 心丈夫にしてゆく祈り
心丈夫とは
物金にのまれず
今生きている自分の足元をしっかり整えてゆく
自立(自律)した姿
天に向かい 自然の理に合わせてゆける精神力をもち
今生きていることに感謝して 今を整えてゆく
その優雅な おだやかな心情で
人に迷惑をかけず 日々を楽しく
工夫工面のよろこびでいきたいと思う。
|
2022.6.9 |
人は 与えられた時の中を
ただ精一杯うけ 自分の役を全うし
工夫工面で無事時を活かしてゆけばいい
自然の営みは 人の気とは関係なく流れてゆく
それをありのままに受けてゆく人を人間という
人間は 常に時に挑戦し
自然の恵みを上手に活かしてゆく知恵のある人
それを賢者という。
生きるとは まず気を楽にしてあげ
それから 気を楽しく
心の方へ引っ張ってあげるとよい
すれば何も心配はいらない
気と心が一体ならば
何も気に病むことはない。
|
2022.5.31 |
身 治めれば 気も安定する
身 治めるには
現実に忠実になろうとする素直さと素朴さが必要
春夏秋冬の季節があるように
人生は いつも平穏な時だけではなく
あらゆる問題も自分の気を浄めるチャンスと感謝するしかない
本当にこの世はよいところ
人の気にのまれない限りは 物事の強弱はよい時もあるが
自分という器以上に無理させてしまう
そこのところを見つけてゆく
それがこの世の生きがいとよろこびといえる
人は すべてこの身で 要領と加減を知り 真実に近づいてゆく。
|
2022.5.16 |
人は 死ぬまで自分を見つめてゆく
それが自分への礼と敬
また肉体を与えてくれた父母への礼である
すなわち 即今 即今と 今を大切に
迷い 悩みの気を やすらぎの安定した心に導くこと
その為に 今を活かし 今に生きる自分になること
現実は 真実を知る問題集と思えばよい。
|
2022.5.6 |
生きるとは
すべて己の蒔いた種を刈り取ってゆくだけのこと
人はそれなりに苦しんで生きてゆくもの
それなりの中に 自分の良さ悪さがあり
それを一つひとつ見直し きれいにしてゆく任務がある
本来 人は 和を求め生まれ変わってゆくもの
罪をつくらなければ 余分な苦労はなく
泉のごとく 絶えることないよろこびを身で感じてゆける
季節を知り味わい 人を知り味わい 自分を知る
人間として 人間を生きるとは
すべてを 気ではなく 心で生きるということ。
|
2022.4.25 |
人の邪を直すことは出来ない
人の邪は 本人がその気にならないと消えないから
私は ただひたすら正しき生き方をやってゆくしかない
それが祈りと思う
人は みなそれぞれ違うもの
その違う一人一人が自らの花を咲かせるには
自然 即ち真に合わせてゆく勇気と
それが自分の任務であり責任という自覚が必要
自分のことは 各自がしっかりしてゆくしかない
人生は決して人のせいに出来ない。
|
2022.4.12 |
努力とは 真実に近づく心
気(欠)ある人が 物事を通じて
体で 自分を成長させてゆく言葉
努力は 精一杯ではなく
やろうとする覚悟 決心の段階。
今日一日 今日一日を
よく味わっていって下さい
今日一日 今日一日
体を通して
和を味わうよろこびを感じて下さい。
|
2022.4.1 |
人は 教えを学び 素直になり 自分の悪さ 欠点を知る
その悲しみにより
その人は 愛を知り 温かさ 恩を知ってゆくだろう
悲しみは 辛さと違い 愛であり 真への懺悔であり
自分を知り 前へ進むきっかけになる
それを 慈悲 慈愛という
悲しみは まごころから生まれるもの。
|
2022.3.25 |
肉体をもっているかぎり
自分の気(感情)から離れて生きていけない
その気を心に消化していくことを合理という
白神様の説かれる「自知・即今・和」の教えは
少しでも本来の人間性に目覚め 平穏で公平 平等の世をつくり
人間同志の扶けあいによって より良い人間生活を営む
そのための祈りの言葉といえる
末法の世に 神から問題集をいただき 各個人がしっかり学ぶ
これが真実との出会いというべきだろう
苦を愛に 愛により互尊の世界が得られる。
|
2022.3.18 |
今に生きる その自覚と責任が自立である
現実の中で自分の気(感情)にのまれず
正しき見方 正しき行いで
自分を敬い 自分を大切に 生きてゆくこと
神仏の教えはその為の自分の足元を照らしてくれる光である
生きるとは 自分への礼であり敬であり義である
それが人間としてのけじめであり道理というもの
気(感情)は 時として気が重く面倒くさいもの
気ではなく情(こころ)を心にしてゆく
生きるとはその為の修業場といえる。
|
2022.3.10 |
今を素直に見て 捉えて 動いてゆくだけでよい
その中にいろいろな「辛・苦・愛・楽」が見られる
すべては自分の気の捉え方であるが
心を通してみれば本当はなにもない
自分の気がただ変化しているだけ
そこに気がついた時
人は 心に安心をつくってゆける
己我無は修業 拝むは精進。
|
2022.3.4 |
心を大切に生きている人には 本来苦はない
だから心温かい人は 物事を苦と受け取らず
すべてがあたりまえと見られる
無は有に 有は無に通じるように
互いに精進し 精神を高めてゆく生き方で
この世を流れてゆこう
もともと苦はなく 苦と思える情を素直に認めること
それが「自知・即今・和」の教えの始まりといえる
日々 苦を楽にして よろこびにかえて生きればよい。
|
2022.2.25 |
人生には 晴れの日もあるが曇りや雨の日もある
人はその中で多くのことに出会い
喜怒哀楽の中で一つひとつ自分も育てられているのだ
ただし 気まかせに生きている人は
いつまでたっても自分と向き合うことはないだろう
この世に生まれた意味を自ら問いながら
自分(前世の人の心を)を大切に守ってあげるところに
自分としての生き方が身についてゆく。
|
2022.2.18 |
気を入れすぎず
気を抜きすぎず
時にそって 自分の役に徹し
身をもって道理を実行する
それが人として正常な姿。
この世は
すべて前向きに捉えていった方が 気が楽
どちらにしても
物事は 良いか悪いか 正しいか正しくないかの
根本から始まるだけだから。
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2022.2.4 |
現実を正しく見る
そのことを学びに 人は生まれ 生きていく
生きるとは 現実にそって自分を知り活かすこと
ただそれだけ
良くも悪くも
すべては自分の向上のためにあるのだから。
菩薩達は 特別なことを学んでいるのではない
自らの欠点を身で知り 感情(気)を感性(心)にかえ
心から納得して物事にあたった方々であり
常に真実を求め 人と会い 物金と接した人達
日常の中で 真理に接し 心を学び行っている
ごくあたり前の人間の姿なのである。
|
2022.1.28 |
良いこと 正しいことをとまどうことなくやってゆこう
日々のあたり前の行として
良いことは 身も気もすっきりさせてくれる
正しいことをやってゆく中から
すっきりした自分が生まれてくる。
|
2022.1.21 |
ゆるゆると楽しんでゆきたい
そして常に感謝とよろこびの人でありたい。
笑顔のきれいな人 幸せの人
それも真からの笑顔の人は……。
本当のしあわせを感じ知るには
自分の中を見てあげることです
自分の迷い 悩みを 自分に聞いてあげるのです
それにより自分の本心と原因がわかってきたなら
神の真に照らし合わせ
正しい見方 正しい捉え方を学び
今の自分の中の思いと見比べるとよいでしょう
ただし「神との縁は素直から始まる」を心して。
|
2022.1.14 |
時は流れる 永遠の道程の中を
人は その時の中であてどなき旅をして
転生輪廻の中で生き続けてゆく
川の流れの中の木の葉のように
だからこそ
自分に「精進 精進」とよき声をかけてゆけ
これが幸せということか
これがごくらくということか
それが自分への勇気と感謝であろう。 |
2022.1.7 |
心やすまる時がどのくらいあるかで
その人の生き方が変わってゆく
心やすまるとは 物 金 名誉にとらわれず
今 自分が生きていることを実感し
心が青空のように澄み渡っている爽快な気分をいう
すべてが許されている心境 即ち無心ということ
無心とは 力むことなく 心身を時にゆだねてゆく感覚
今という時に心よせ 礼してゆくすがた
人間として自分なりに精一杯やり
あとは天にまかせればよい。 |
2021.12.28 |
この世は 生きている
この世は 動いている
この世は やるだけのことはあるところ
だから どんどん体で動き 感じ 学ばないともったいない
この世は なにひとつ無駄がなく
人・物・金を通じて感情を豊かにしてゆける
感性とは そうゆう心
あの世は ただただ自分を見つめ 見直すところ
自我 自己にこだわった人には苦しく
良き生き方をした人には 極楽なところ
たましいに死はなく 永遠の道を歩んでいる
だから なにも怖がらず
常に平穏に自分の道を歩んでゆけばいい。 |
2021.12.16 |
失敗は恥ではない
むしろ現実を身で知っただけは
有難い 得したと思うべし
ただし同じ過ちを三度すれば罪になる
まじめさがないということ
間尺に合わない人は ポイントがわからない
それだけ知恵もなく やる気のない 人任せな人
そう言われたくなければ 言われる前にまず動け
それが礼儀であり あたり前のこと
自分のことで相手に気を使わせてはいけない。 |
2021.12.10 |
舞台の上では 皆 俳優
どの役が欠けても その舞台は盛り上がらない
主役も脇役も すべて舞台にとっては大切な人。
物の見方をちょっと変えてみると
万華鏡のように変わって見える
だから生きることは いつも新鮮でマンネリはない
もし生きることに失望している者がいたら
本当の生きるよろこび 楽しみを知らない
気の満足だけを追う勝手な者というしかない。 |
2021.11.29 |
心に 神仏の英智を入れてはじめて
その人は 心をやすまる安定の世界に入る
それが華美(菩薩)の世界
つねに私心なく 調和を旨として日常を歩む
あとは やるべきことをやり 時にまかせ
今 負担をつくらないようにいくだけ
いつこの世を去ろうが いつも晴れの日のように
心清く 身を浄めてゆくだけのことだから。 |
2021.11.15 |
日々の中で 自分を知り
自身と共に成長してゆく。
命の尊さは ただ生きているだけの中にはない
大切なことは 生きている間に
どのくらい現実に対して真剣に取り組んだかということ
好き嫌いだけでは その尊さを見失い
自分の中に余分な汚れをつくり 本来の生き方を曲げてしまう
永遠の道を生きるとは
能率よく時を活かし 人・物・金と調和してゆくこと
即ち 合理である。 |
2021.11.8 |
やるべきことに 気迷わず
今正しきことを 正しく行い 清い心で日々を送る
そのことに神経を使ってゆけば おのずと道は開け
気 心 共に健やかな日々を受け入れることが出来る
体の変調も 正しきことに素直になれないとまどいの気を
天が示して下さっているもの
自分自身を どっしりすれば すべて治まる
所詮この世は 気との戦いであり
気との語らいにより 己を見てゆくもの。 |
2021.10.29 |
疲れた時は 寝ればいい
疲れた時は 気を抜けばいい
疲れた時こそ 素直に自分を見つめればいい
疲れも自分にとっては 自知につながるのだから
「無理するな ずるするな 精一杯の心があれば」
でゆけばいい
所詮 この世は
動き 働き 自分を成長させる所だから。 |
2021.10.15 |
人は 本来の自分に戻れと言われても
今の自分の心が 本来の自分なのかわからないもの
本心と称して 本来の自分のあり方とは違う
自我にこだわったことに力を入れているかもしれません
あくまで本心とは 正しきことに同意できる素直さなのですから
本当の自分のあり方を考え 今正しき行いをしている限り
人は 心おだやかに歩んでいけるでしょう
本心と正しきことがペアでいるかぎり
その人は心置きなく 前向きに進んでゆくでしょう。 |
2021.10.7 |
自分がゆったりした気分になると
神経や心の病は消える
すべては気の動きにより 神経の病を呼ぶもの
ベッドの中の人は
人に任せる素直な心と感謝の心を忘れなければ
病もまた 人との輪の学びである
人は 常に人との貸し借りがないようにしてゆく
まじめさと謙虚さが必要。 |
2021.9.27 |
心は天にそい 人間として真(合理)を知る
真は つねに永遠に変わりなく流れてゆく
これが人間の歩む一本の道なり。
人は 神仏の言われることを
受け入れる人になればいい
それが素直であり合理である。
人は皆 そうやって
一つひとつ自分の身で含味して
大きくなってゆく。 |
2021.9.14 |
人は苦から逃れようとして 自ら苦をつくる
この世に生まれたということは
それまでの自分を懺悔 整理し向上するためであり
過去に自分の蒔いた種を刈り取り
新しい自分と出会うためなのです
そのために この世に生を受けたのだから
苦があってあたりまえと思い
もう少し素直に もう少し勇気をもって
日々を過ごされたら如何でしょうか
神は 見ていられる だから 安心。 |
2021.9.6 |
人生 なにごとも感謝の心でゆけばよい
感謝の心には邪気はないから
たとえ小さなことでも
「あゝそうか ありがたい」と思える人になればよい
生きてゆくということは
多くの人や物事に お世話になってゆくのだから
家族にも 社会にも この世のすべてに。 |
2021.8.30 |
コツコツと 地道に たゆまず歩むのが人生
コツコツと やる気があるかないかで
人生は自分で決めてゆくもの
決して人のせいには出来ない
だから性根をもって ゆっくり自分を育ててゆけばいい
すべてこの世は 因果応報の神の中だから。 |
2021.8.20 |
人は 自分から不行をつくらなければ不幸はない
物事を正しく平等に見られないその人の気が
不行をつくり出しているだけ 冷静になれば納得する
この世は神に計られている
神とは 公平平等であり 偏らない調和そのもの
自然の摂理は厳しく
何事も 何人もその中で整理されてゆくもの
自然の中の動物を見ればその意味が分かるはず
人間だけが特別ではない
だが 人間は一人では生きていけない生きもの
だからこそ 守るべきルールがある。 |
2021.8.12 |
旅に出なさい
過去のない自分になれるから
旅に出なさい
心温かな人になれるから
旅に出なさい
誰とも親しくお話しできる人になれるから
旅は 知らずに良い顔をつくる。 |
2021.8.2 |
種を蒔かなければ
芽も出ず 花も咲かず 実もならない
それが現実
だから 今そして明日に向かって(天に向かって)
良い種を蒔いてゆく
それが自尊への道
ともあれ 今正しいことに心よせ 動けということ
ただし
自分の身巾に 無理するな 無駄するな
それが自分へのプレゼント。 |
2021.7.16 |
神を知る 即ち真理を知るということは
まず人間としてのルールを学ぶことである
真理は すべて現実の中にあり 公平であり 情はない
仏は その情なき愛(自然の摂理)を人間に合わせ
心と肉体の持つ感情が折り合ってゆく在り方を
智恵として伝えてくれている
私たち未熟なものにとっては大変有難い方々である
天理は 即ち 自然の中から
仏の知恵と自らの精進 努力により歩む中にある。 |
2021.7.9 |
老いるとは
人生の中で一番充実した時であり 美しい姿
いろんなことを経験し 学び
やわらかく 厳しく やさしい心を得た証として。
迷いがあるから悩みになる
悩みがあるから苦が生じる
どちらにしても 今 私心(思い 願い 我欲)をよこに置き
正しいことに気をよせてゆけば
悩みも苦も泡のように消える。 |
2021.7.1 |
「生きるよろこび」
鳥の鳴き声により目覚め 朝日を拝み
生きていることを感謝する
そして「今日一日 粗相なくゆかせて頂きます」と誓い
夜寝る時に
「今日一日無事に過ぎました ありがとうございました」
と感謝する
そのくり返しが一番仕合せな生き方
決して苦がないわけでもない 決して楽なわけでもない
どのくらい尊い時を大切に受けているか
どのくらい尊い時を大切に扱っているかだけのこと
人間としてこの世で生きてゆくには
それが当たり前の姿なのだから。 |
2021.6.21 |
常に 身一つの心が幸せ
今 生きていければいいという身軽さが幸せ
心が豊かであれば すべて活かすことが出来るから。
人は
良いものに感動し見習ってゆけばいい
すればいつの間にか自分の身につくもの
そうやって一つひとつ自分を作るといい。
己我無心で 時をいただき
己我無心で 物に接してゆけばいい
それが出来るまでこの世が必要。 |
2021.6.11 |
生きるとは
今自分のやるべきことをやってゆくこと
そのやるべきことに気がいくように自覚すること
それが勇気であり 続けることが努力である
それ以外に自分を守るすべはない。
日々を大切に動くところに
六根清浄となる
それが自尊の道
それ以外に道はない。 |
2021.6.7 |
神仏の教えを学ぶとは
自分の身と気を整えることである
自分の身と気が整えば
すべてを前向きに受け 自他の安全をはかり
邪 悪と戦う勇気を得ることにつながる
それが自分への礼であり
今世 生きた証をつくることになる
白神様の説かれる「日々新た」とは
つねに前向きに 自分づくりに勤しめということ。 |
2021.5.28 |
生きるとは
まず自分自身を守ってあげる思いやりが必要
病 死を恐れず 今を充実して生きてゆけば
余分な思いも悩みもなくゆけるもの。
人間 やることがあるから うれしいし楽しい
やることは すべて知恵になり 自分の身になる
ありがたい経験といえる だから失敗はない
人間は 失敗により本物にめぐり合うことができる
失敗は 真に近づく過程であるから…。 |
2021.5.21 |
悩みや苦しみがある時こそ
神仏の智恵を頂き 自身の気を横において
がむしゃら(我無捨ら)に働いてゆけばよい
所詮 気が安定していないだけだから…
神仏の教えを頂くとは 自分への律し方を学ぶこと
そして気を安定させ この世に生まれた意味に近づき
学び 動いてゆく自分を育てること
大切なことは 自分から動こうとする心 。 |
2021.5.14 |
どの仕事も 仕事があるということは有り難いこと
そのおかげで食を頂けるから 人間食べてゆければ結構
そして心豊かになれば すべてがたのしい
物事のけじめを知り 人と出会い 自分を知るから。
人は 懺悔 反省の行いのたびに
身 らくになり 心 明るくなる
懺悔は 相手への敬いにかわる。 |
2021.5.7 |
本当の美しさは
どこから見てもスキがなく
シャンとして凛としているもの
本当に美しいものは
人間も物もすべて真理にそっている
物事をすきなく出来るように心がけてはじめて
人に対しても 自分に対してもおだやかな心が芽生える
おだやかさは心が丸いときあるもの。 |
2021.4.28 |
人間は なにが良くて なにが悪いかわからないもの
それを知るために 常に意識して自分の行動を見てゆくこと
それを律するという
良い悪いの見分け方は 理(ことわり)なくしてない
理は 調和そのものであり 公平 平等そのものだから。
生きるということは 英智を学び勇気を持つこと
勇気をもって良きことやってはじめて
生きることへの礼と自分に対しての敬ができる。 |
2021.4.20 |
たとえ身体が不自由であっても 心はいつも自由です
心は 形にとらわれず
いつも自分の思うままに動けるのですから
なにも苦しむことも悩むことありません
今 自分が前向きに人と合わせるようにすれば……
それには 自分の中の自分を見て語り合うことです
必ず言葉が返ってきますから
それが本当のあなたということです
神さまは いつも見守って下さっていますから。 |
2021.4.8 |
生きるとは 六根清浄である
六根清浄とは 業(カルマ)との戦い
己に勝つとはそのことである。
五体満足に生きている人よりも
障害や病を持った人の方が
今生きていること また生かされていることへの
ありがたさを身で知っているもの
健康だからこそ 余分な慾が出る
人はどこまでいってもこれでいいという際限がない。 |
2021.3.26 |
花は 天と地のおかげにより咲いている
どの花も凛として色鮮やかに美しい
動物は 弱肉強食の世界で生きているが
余分なことはしないけじめをもっている
人だけが願いや慾という感情を持ち
けじめなく自己自我に固執して生きている
人が動物のようにけじめを持ち
花のように凛として生きてゆくには
自らを戒め 己を律してゆくしかない
人生にとってそれが課題でありやりがいでもある。 |
2021.3.15 |
人間として生まれ 人間として育ち
神仏の心を知り 精進の道を歩む
それが人間としてごく当たり前の姿
日常を 無駄なく 無理なく 精一杯の心で歩み
時を活かし 時と一体になり 時を消化し
自分でもなく 人でもなく
今必要とする役の中に自分を投じる
それが人間という肉体を持った者の本来の姿
それが「合理」ということ
その姿こそ人間としての美しさと思う
若さには若さの美しさがあり 老いては老いの美しさがある
人間は今汚れをつくらなければ みな美しいのである。 |
2021.3.5 |
今を生きて 動けることが仕合せ
動きにより 自分と共にこの世の時を味わい
そのよろこびを肌で感じてゆきましょう
時代の波に乗りながら
すべてに楽しく うれしく 良かったと
感謝してゆける自分になりましょう
この世は 本来楽しむところだから
勇気は すべての難を自ら砕き 浄め 整える
そのことを自覚し 一つひとつ身で味わってゆきましょう。 |
2021.2.26 |
人は皆 平等公平の中に生きている
ただし個々の特徴は
それまでの因縁によって育まれたもの
その因縁をしっかり知って
自尊自立(自律)の心で
尊い日々を活かし 感じて 味わい
自らの中に入れてゆきなさい
自らを知り 自らを敬い尊ぶところに
汚れ 苦は浄められてゆくものだから。 |
2021.2.15 |
一方的ではなく 自他共の安全を図るには
真にそった英智しかない
その英智をもとに日々実践してゆくことが
自身の安泰の生き方 大往生の生き方と思う
人に甘えず 人に感謝してゆこう
常に話し合い
「ごめんなさい」「ありがとう」
「すみません」「お願いします」
この言葉を心から言える 明るい素直な人でゆこう。 |
2021.2.3 |
自尊とは
自己を知り 自己の汚れ 醜さを取り払い
自らを愛おしく思えること
あたり前のことに素直にそって
自分を慈しみ育てる覚悟を持つこと
自分を悪い人にせぬよう 今という時と役に徹し
自分のことを自分で守ってあげること
その心を一人一人が持てば
神仏との縁を求めなくとも 神仏が下さり
この世は 助け合いの和やかな世界に変われる。 |
2021.1.22 |
神は 自然の理そのもの
人間の考える善い悪いではなく
理に照らしその人をつねに見ている
仏は 人間の心に光を与えてくれている
人間が神の示す理にそっていけるようにと
仏は 神の心をいただきこの世を卒業された方
仏の心には 慈悲 慈愛があふれている
その人がよくなるようにと
その人に合うように語ってくれている
人は素直にその言葉をいただき
まず自分を整えることだ
神は たとえ小さなことでも 小さく捉えず
その中から その人の誠意とまごころを見ていられる。 |
2021.1.15 |
人は 今ということに責任を持ってゆけばよい
今という時の中に
過去のひずみ 歪みを調整するチャンスがあるのだから
あとは この世で物事を通じ 楽しみ
人の心を見て学んでゆけばよい
それには まず肉体が持つ感情「気」を整理することです
人は 自己へのこだわり 屈辱 悲しみがそのつど尾を引いて
無条件に今にそってゆけないようですから
皆が今という役に責任を持ってゆけば
この世は素晴らしい調和ができるはず
決して人のせいにしないから
その時の失敗は 人はお互いに許し 助け合ってくれる
失敗した人には知恵を 助けた人には徳を
お互いがよいように 神は計ってくれているから…。 |
2021.1.4 |
生きるとは
心の泉(神仏の英智)を求めていくこと
心の泉は 常に新鮮で 清く
人との交わりの中から 自分を成長させてくれる
それが心の泉である
永遠に枯れることを知らない泉である。
人生を素朴に生きられたら最高
素朴とは
自己自我にとらわれず つくらず
自然を生かしてゆく 心の豊かさ。 |
2020.12.14 |
この大切な一時を
誰の為でもない
自分の為に精一杯生きよう。
この世の善悪は
すべて自分の素直な心でわかる。
「分相応」は自分自身の中にあり
誰のものでもない
「分相応」は自尊に通ずる |
2020.12.8 |
常に真実に出会ってゆこうと思う
時の中には
真実に出会える問題集がいっぱい詰まっているから
時の中で 人と交わり 自分を知り 自分を育て
時の中で 自分の役を確認し 自分を活かしてゆこう
自分らしく 天と時と自分の役の中で…
それ以外は 余分な苦労と無理なこと
人は皆 公平に生きてゆく仲間なのだから。 |
2020.11.30 |
生きるとは 今感じ動くことである それが「即今」
「即今」とは
今の自分の役に忠実に 物事の必要性に合わせ行動すること
なりゆきに動くだけでは「即今」とはいえない
「即今」は天にも地にも自分にも通じるもの
人は「即今」「即今」と今のみに心をよせ 身に入れてゆけばよい
それが性根を育て たましいに新しい感覚の智恵を入れてゆく
ともあれ 「真」により身を整えよ。 |
2020.11.13 |
人は 問題がある度に大きく新しく自分を切りかえてゆける
但し その問題に対して
恩情(感謝) 温情(いたわり) 愛情(厳しさ)で解決してゆけば…
その問題の本質と関係なく 人情 強情 同情だけで見て動く時は
かえって本筋から遠のき 空回りしてゆくことになる
こういう時こそおびえず 今迄の自分を振り返り
自分自身の本心を見て 過去にとらわれず 先のことを心配せず
素直に今のみに心よせる勇気を持ち努力することです
すれば身軽で気軽な 自分づくりに挑戦してゆく人になり
今はもちろん 永遠の道を歩んでゆくことになる
生きても死んでも関係ない本体の自分と仲良く
人とも心より話し合える人になれるでしょう。 |
2020.11.4 |
生きるって こんなに楽しいもの!
すべてが新しい出会いであり
すべてが冒険であり
のんびりしているのがもったいない
のんびりは 寝ている時だけで十分幸せ
生きている限り 新しい智恵にめぐり合う
それが 前世の人 今世の自分への感謝であり礼である。 |
2020.10.28 |
たましいは消えない
肉体は たましいの浄化また向上のため
その時々に必要として頂いているだけ
そのことをしっかり自覚して
身軽く 気軽く 本来のたましいの役に素直に帰り
神仏 賢者の智恵を頂き
その無駄ない無理ない生き方を学び
今生きることに張り合いを持ってゆけばよい
〝生きる〟とはそういうこと
自分の気をおびえから切り離してあげること
それを素直という。 |
2020.10.15 |
人間は 永遠に続く一本の道を歩んでいる
その道の先は 神の調和すなわち極美の世界
なのに人間は 肉体を持つと自己自我が芽生え
本来単純なことさえ複雑に捉え 空回りして
素直な生き方が出来ない
感情とはなかなか厄介なもの
白神さまが示された「合理」は
人間の持つおびえが慾を呼ぶ特徴を消化するための言葉
神の真に向かって
早く本来の人間になりなさいと励まして下さっている
あとは 我々人間が日常生活の中でお互いに助け合い
争いなき平和でおだやかな世界を築けるよう
人間としての誇りを持つべきである。 |
2020.10.12 |
身惜しみ 気惜しみは 人間として一番損な生き方
身惜しみ 気惜しみは この世に生まれた意味を知らない人
また知っていても それに対して自分を守ってあげられない
誠意なき 心を知らない者の生き方
せっかく神仏の智恵をいただきながら
身惜しみ 気惜しみの慾にのまれている者には
不幸が来てもあたりまえ
それが神の愛であり 仏の慈悲の祈りというもの
人間がみな正しき生き方に心よせれば
神仏は わざわざ我々に通信なさらないと思う。 |
2020.10.1 |
人は 真面目にコツコツとやっていけば
物事は 必ずいいように流れていく
流れは 真面目さと誠意により生まれる
それ以外にない。
物事を行うにあたって
一人より二人の方がよい
二人より三人の方がよい
そしてお互いのよさを出し
よき調和の道を学ぶとなおよい。 |
2020.9.17 |
人間は
自分を律するところに 自分を安定させることができる
そして自分の為に生きる道を見つけ 心安らかになる
そこには天から与えられた 時があり
死ねば時などない世界
時があるから 生きていると実感してゆける
時の中には 心の財がいっぱいかくれている
まるで宝石さがしのように
私は時を大切に扱い 時の中の自分の役に律してゆくだろう
もう大丈夫 すべて時のみに私を織り込んでゆくから
私という宝石を―――。 |
2020.9.11 |
まごころは
すべてを和ます
まごころは
今正しいことをやっていればいいのである
人の顔色を見るのでなく
今なにが大切で必要かを考え
我心なく 体当たりしてゆく
それがまごころ
まごころは すべてを明るく公平に見る
決して偏った情ではない。 |
2020.9.4 |
神仏は 過去を戒めないかわりに今を見る
そのところを心して
今 今 今と 今を活かすことに心を向けてゆく
それを仕合せという
仕合せを行っている時は
とまどったり 迷ったり 苦しんだりするものだ
ただし悩みはない それは前向きだからだ
悩みは自己主張の時 起きるものだから
仕合せが身につき 不安もおびえもなくなり
あたり前に動作が出来た時 はじめて天から幸せを頂く
これが天則である。 |
2020.8.28 |
物を活かすことが感謝である
物をいたわることが感謝である
人と円滑にゆくよう気を配ることが感謝である
それが自分の身の掃除であり整頓である
その心が今自分の中に芽生えた時
人は人間として成長してゆく
人・物・金に対して活かす心 敬う心があり
自分の生き方に責任をもって人をあてにせず
自分の特徴 取り柄を自然に生活の中に出して
人との和を重んじ 自ら先に立って人生を楽しんでゆく
それが本来の人間の生き方。
|
2020.8.20 |
信行とは(修業)
なんでもよくとれる自分をつくること
心行とは(修業)
なんでも心から行動できる
素直な計算のないそして貸し借りのない人になること
真行とは(精進)
今正しきことを心から行う人になること |
2020.8.07 |
常に正しき生き方を心に置き そしてその正しきことを
自分の身で一つひとつ感じてゆく勇気があれば
たとえ失敗したとしても それは失敗ではなく
むしろ現実を肌で感じ知ったという得難い経験であり
たましいの中に智恵として永遠に記憶されてゆくのです
生きるということは
力を入れすぎず 力を抜きすぎず 今という時を大切にいただき
物事を正しく見て 正しく聞いて 正しく捉えてゆく
その積み重ねの中で
美しいものと出会い 心はずましてゆくものです
美しい出会いには 物金に恵まれなくても
今ある中で楽しむことができるのです
物を生かす温かさと感謝があれば
それがやさしさに変わってくるのです
やさしさは 人・物・金を生かし使いこなす
「礼と敬」から始まるのですから…。 |
2020.7.30 |
物事は その時々に合わせ
コツコツと慎重にあたってゆけばそつはない
それが時に合わせ 時を活かすことにつながる
その時に合ったことだけに神経を使ってゆけば
必ず 時を活かし 流れをつくるもの
たとえすぐに答えが出なくても
いずれ芽が出る種を育んでいるのだから。
良いものは良いと言える人になるといい
それが素直であり
現実にそっている自分ということだから。 |
2020.7.17 |
人間は日々の中で
自分の適性を知り 物事の適格性をみつけ
充実した生活を営む
それが仕合せという。
人は 頑張ってばかりでは自分が疲れる
それよりも 人に素直にお願いできる人になれば
身軽になれる
ただし相手を利用しようとする心はいけない
お願いは いつか返そうと思う 礼と敬の心。 |
2020.7.9 |
教えは
自ら日々の生活を楽しく行おうとする人の中にある
教えは
天にそって人との輪を求めてゆく温かさ やさしさのある人に
勇気と智恵を与えてくれるもの
「ありがとう」「すみません」「ごめんなさい」「おねがいします」
この四つの言葉を心から言えた時
もうその人は神仏の世界の心の人である
あとは天にまかせ 悪い種を蒔かないように自重し たしかめて
日常を楽しく 自分の取り柄を出し 人と仲良く助け合い
円滑な生活を営む努力をする
その姿に神仏は微笑み 見つめてくれるだろう
神仏の縁は まごころとやる気しかないから――。 |
2020.7.3 |
生きることにワクワクしてきた
自己自我を横に置き 自分を空にして
物事を素直に見 行ってゆくと
すべてが新鮮に感じられ ありがたい
時をいかすとは 時を知り 時を消化してゆくこと
これは決しておごるでなく
今と自分との織物の一部を知り
智恵を頂いたことへの感謝のこころ
そしてそれが観音様の言われた
「自分は時によって育てられている」ということだろう。 |
2020.6.26 |
日々の経験を通じて学んだことを
着実に自分の知恵にしてゆく
その積み重ねが生きるということ
その知恵により 人は物金を生かすことができる
ただし物金はこの世だけのもの
あの世では必要ない
あの世では この世での物金に対する思いが残るだけ
だから良い思いの為に 物金を生かすことを学ぶことです。 |
2020.6.19 |
たましいは 新しい経験と出会いを求めている
それは 美しい人になる為に生まれているという心でいるから
たましいは すべては前向きなはずなのに
肉体をいただき自己自我を持ち始めると
つい自分勝手になり 醜い汚れた己を出してくる
本当に悲しいものだ
常に意識を自分に向け
自分に対してのやさしさ 思いやりを持つことである
人と競うのではなく 自分の中の己と戦い
常に素直な 正しい見方 捉え方を
自分の中に求めてゆくといいと思う
それを謙虚 実直 まじめという。 |
2020.6.4 |
美しい顔は
美しい心から備わるもの
綺麗と美しいは違う
心丸く 素直で 清純な時に
人は 美しい顔になり
時を尊び 時を敬い行う時
人は 美しい心になる。 |
2020.5.27 |
人は 現実に対して自分の好き嫌いを横に置けたら
それは空のはじまり
人間は現実に対して素直に消化してゆくところに
無の感覚に近づいてゆく
空の時は 意識があり
無の時は 自然にそって無意識なり。
人は理屈を言わず 六根清浄の心でゆくがよい
それが 己我無(拝む)心に近づく 又近づきやすい
六根清浄とは 現実の今(時)に 与えられた役に
全身を体当たりしてゆく心。 |
2020.5.14 |
たましいに品格のある人は
つねに真実への追求の心 姿が見られる
自然と一体になることをよろこびとし
物の価値をいかし 自然に対して感謝の心をもつ
だからつねに心が新鮮で 物金への執着はなく
無への挑戦をしてゆく
そのような心を持った人はめったにいない
色気や見栄もなく 人を意識せず 自己主張もしない
その人の心は天にそって どこか空気のような人
それだけ純粋で無邪気な人といえる
肉体は老いても 心はつねに青春のような人
いつまでも心若く明るく
死ぬまで自然(真理)を追究してゆく無心の人
心は天使のような人。 |
2020.5.8 |
心(たましい)が凛としていると
気はシャンとしているもの
凛とは 厳しさの中にやさしさがあり
正しく行動できる品性が備わっていること
シャンとは 姿勢を正し 物事を正しくおさめる姿
いくら頭でわかっていても
気が正しく動けないと凛とした心にはなれない。 |
2020.4.27 |
常に物事を気(感情)でなく
心で聞けるように
心で見られるように
心で捉えられるようになると
すべての煩悩から解除される
気は ただ余分な苦浪(苦労) を生むだけのもの
人はそのところを感じないと いくら口で言っても
自分の心(たましい)に届かないものと知るとよい。 |
2020.4.17 |
あたり前に不足を言わず物事が出来た時
人は 人間としての資格を持つ
ああだ こうだと自分にとらわれている間は
まだ人間になってはいない
淡々と物事を捉え 今を活かすのみに気をむけてゆく
またそれを生きがいとして日々を送る
それが 自尊そのものの生き方と言える
人は 自分の汚れ欠点を一皮一皮浄化し人間になってゆく
そして人間になってから本当の尊い生き方が始まる。 |
2020.4.7 |
病は
自分を整える為の神様からの啓示であり警告である
病により自分を見直し整える
整えるとは それぞれの人が生まれた意味にもどること
本来の自分の気質を見直し
今の有り方を通じて 正常な自分にしてゆくこと
正常とは 理にかなった生き方をいう
それを自知という。
手当は
今の自分を素直に振り返り
反省と誓いの繰り返しで 正常な自分に整えてゆく
また 体に合った手当てをして補ってあげる思いやりも必要
ともあれ 自分の体は 自分でやさしく見てあげること
やるべきことをやり あとは神様の真に身を合わせる
その素直さがあるか 即ち 自尊の姿になるかどうかである。 |