2021.3.5 |
今を生きて 動けることが仕合せ
動きにより 自分と共にこの世の時を味わい
そのよろこびを肌で感じてゆきましょう
時代の波に乗りながら
すべてに楽しく うれしく 良かったと
感謝してゆける自分になりましょう
この世は 本来楽しむところだから
勇気は すべての難を自ら砕き 浄め 整える
そのことを自覚し 一つひとつ身で味わってゆきましょう。 |
2021.2.26 |
人は皆 平等公平の中に生きている
ただし個々の特徴は
それまでの因縁によって育まれたもの
その因縁をしっかり知って
自尊自立(自律)の心で
尊い日々を活かし 感じて 味わい
自らの中に入れてゆきなさい
自らを知り 自らを敬い尊ぶところに
汚れ 苦は浄められてゆくものだから。 |
2021.2.15 |
一方的ではなく 自他共の安全を図るには
真にそった英智しかない
その英智をもとに日々実践してゆくことが
自身の安泰の生き方 大往生の生き方と思う
人に甘えず 人に感謝してゆこう
常に話し合い
「ごめんなさい」「ありがとう」
「すみません」「お願いします」
この言葉を心から言える 明るい素直な人でゆこう。 |
2021.2.3 |
自尊とは
自己を知り 自己の汚れ 醜さを取り払い
自らを愛おしく思えること
あたり前のことに素直にそって
自分を慈しみ育てる覚悟を持つこと
自分を悪い人にせぬよう 今という時と役に徹し
自分のことを自分で守ってあげること
その心を一人一人が持てば
神仏との縁を求めなくとも 神仏が下さり
この世は 助け合いの和やかな世界に変われる。 |
2021.1.22 |
神は 自然の理そのもの
人間の考える善い悪いではなく
理に照らしその人をつねに見ている
仏は 人間の心に光を与えてくれている
人間が神の示す理にそっていけるようにと
仏は 神の心をいただきこの世を卒業された方
仏の心には 慈悲 慈愛があふれている
その人がよくなるようにと
その人に合うように語ってくれている
人は素直にその言葉をいただき
まず自分を整えることだ
神は たとえ小さなことでも 小さく捉えず
その中から その人の誠意とまごころを見ていられる。 |
2021.1.15 |
人は 今ということに責任を持ってゆけばよい
今という時の中に
過去のひずみ 歪みを調整するチャンスがあるのだから
あとは この世で物事を通じ 楽しみ
人の心を見て学んでゆけばよい
それには まず肉体が持つ感情「気」を整理することです
人は 自己へのこだわり 屈辱 悲しみがそのつど尾を引いて
無条件に今にそってゆけないようですから
皆が今という役に責任を持ってゆけば
この世は素晴らしい調和ができるはず
決して人のせいにしないから
その時の失敗は 人はお互いに許し 助け合ってくれる
失敗した人には知恵を 助けた人には徳を
お互いがよいように 神は計ってくれているから…。 |
2021.1.4 |
生きるとは
心の泉(神仏の英智)を求めていくこと
心の泉は 常に新鮮で 清く
人との交わりの中から 自分を成長させてくれる
それが心の泉である
永遠に枯れることを知らない泉である。
人生を素朴に生きられたら最高
素朴とは
自己自我にとらわれず つくらず
自然を生かしてゆく 心の豊かさ。 |
2020.12.14 |
この大切な一時を
誰の為でもない
自分の為に精一杯生きよう。
この世の善悪は
すべて自分の素直な心でわかる。
「分相応」は自分自身の中にあり
誰のものでもない
「分相応」は自尊に通ずる |
2020.12.8 |
常に真実に出会ってゆこうと思う
時の中には
真実に出会える問題集がいっぱい詰まっているから
時の中で 人と交わり 自分を知り 自分を育て
時の中で 自分の役を確認し 自分を活かしてゆこう
自分らしく 天と時と自分の役の中で…
それ以外は 余分な苦労と無理なこと
人は皆 公平に生きてゆく仲間なのだから。 |
2020.11.30 |
生きるとは 今感じ動くことである それが「即今」
「即今」とは
今の自分の役に忠実に 物事の必要性に合わせ行動すること
なりゆきに動くだけでは「即今」とはいえない
「即今」は天にも地にも自分にも通じるもの
人は「即今」「即今」と今のみに心をよせ 身に入れてゆけばよい
それが性根を育て たましいに新しい感覚の智恵を入れてゆく
ともあれ 「真」により身を整えよ。 |
2020.11.13 |
人は 問題がある度に大きく新しく自分を切りかえてゆける
但し その問題に対して
恩情(感謝) 温情(いたわり) 愛情(厳しさ)で解決してゆけば…
その問題の本質と関係なく 人情 強情 同情だけで見て動く時は
かえって本筋から遠のき 空回りしてゆくことになる
こういう時こそおびえず 今迄の自分を振り返り
自分自身の本心を見て 過去にとらわれず 先のことを心配せず
素直に今のみに心よせる勇気を持ち努力することです
すれば身軽で気軽な 自分づくりに挑戦してゆく人になり
今はもちろん 永遠の道を歩んでゆくことになる
生きても死んでも関係ない本体の自分と仲良く
人とも心より話し合える人になれるでしょう。 |
2020.11.4 |
生きるって こんなに楽しいもの!
すべてが新しい出会いであり
すべてが冒険であり
のんびりしているのがもったいない
のんびりは 寝ている時だけで十分幸せ
生きている限り 新しい智恵にめぐり合う
それが 前世の人 今世の自分への感謝であり礼である。 |
2020.10.28 |
たましいは消えない
肉体は たましいの浄化また向上のため
その時々に必要として頂いているだけ
そのことをしっかり自覚して
身軽く 気軽く 本来のたましいの役に素直に帰り
神仏 賢者の智恵を頂き
その無駄ない無理ない生き方を学び
今生きることに張り合いを持ってゆけばよい
〝生きる〟とはそういうこと
自分の気をおびえから切り離してあげること
それを素直という。 |
2020.10.15 |
人間は 永遠に続く一本の道を歩んでいる
その道の先は 神の調和すなわち極美の世界
なのに人間は 肉体を持つと自己自我が芽生え
本来単純なことさえ複雑に捉え 空回りして
素直な生き方が出来ない
感情とはなかなか厄介なもの
白神さまが示された「合理」は
人間の持つおびえが慾を呼ぶ特徴を消化するための言葉
神の真に向かって
早く本来の人間になりなさいと励まして下さっている
あとは 我々人間が日常生活の中でお互いに助け合い
争いなき平和でおだやかな世界を築けるよう
人間としての誇りを持つべきである。 |
2020.10.12 |
身惜しみ 気惜しみは 人間として一番損な生き方
身惜しみ 気惜しみは この世に生まれた意味を知らない人
また知っていても それに対して自分を守ってあげられない
誠意なき 心を知らない者の生き方
せっかく神仏の智恵をいただきながら
身惜しみ 気惜しみの慾にのまれている者には
不幸が来てもあたりまえ
それが神の愛であり 仏の慈悲の祈りというもの
人間がみな正しき生き方に心よせれば
神仏は わざわざ我々に通信なさらないと思う。 |
2020.10.1 |
人は 真面目にコツコツとやっていけば
物事は 必ずいいように流れていく
流れは 真面目さと誠意により生まれる
それ以外にない。
物事を行うにあたって
一人より二人の方がよい
二人より三人の方がよい
そしてお互いのよさを出し
よき調和の道を学ぶとなおよい。 |
2020.9.17 |
人間は
自分を律するところに 自分を安定させることができる
そして自分の為に生きる道を見つけ 心安らかになる
そこには天から与えられた 時があり
死ねば時などない世界
時があるから 生きていると実感してゆける
時の中には 心の財がいっぱいかくれている
まるで宝石さがしのように
私は時を大切に扱い 時の中の自分の役に律してゆくだろう
もう大丈夫 すべて時のみに私を織り込んでゆくから
私という宝石を―――。 |
2020.9.11 |
まごころは
すべてを和ます
まごころは
今正しいことをやっていればいいのである
人の顔色を見るのでなく
今なにが大切で必要かを考え
我心なく 体当たりしてゆく
それがまごころ
まごころは すべてを明るく公平に見る
決して偏った情ではない。 |
2020.9.4 |
神仏は 過去を戒めないかわりに今を見る
そのところを心して
今 今 今と 今を活かすことに心を向けてゆく
それを仕合せという
仕合せを行っている時は
とまどったり 迷ったり 苦しんだりするものだ
ただし悩みはない それは前向きだからだ
悩みは自己主張の時 起きるものだから
仕合せが身につき 不安もおびえもなくなり
あたり前に動作が出来た時 はじめて天から幸せを頂く
これが天則である。 |
2020.8.28 |
物を活かすことが感謝である
物をいたわることが感謝である
人と円滑にゆくよう気を配ることが感謝である
それが自分の身の掃除であり整頓である
その心が今自分の中に芽生えた時
人は人間として成長してゆく
人・物・金に対して活かす心 敬う心があり
自分の生き方に責任をもって人をあてにせず
自分の特徴 取り柄を自然に生活の中に出して
人との和を重んじ 自ら先に立って人生を楽しんでゆく
それが本来の人間の生き方。
|
2020.8.20 |
信行とは(修業)
なんでもよくとれる自分をつくること
心行とは(修業)
なんでも心から行動できる
素直な計算のないそして貸し借りのない人になること
真行とは(精進)
今正しきことを心から行う人になること |
2020.8.07 |
常に正しき生き方を心に置き そしてその正しきことを
自分の身で一つひとつ感じてゆく勇気があれば
たとえ失敗したとしても それは失敗ではなく
むしろ現実を肌で感じ知ったという得難い経験であり
たましいの中に智恵として永遠に記憶されてゆくのです
生きるということは
力を入れすぎず 力を抜きすぎず 今という時を大切にいただき
物事を正しく見て 正しく聞いて 正しく捉えてゆく
その積み重ねの中で
美しいものと出会い 心はずましてゆくものです
美しい出会いには 物金に恵まれなくても
今ある中で楽しむことができるのです
物を生かす温かさと感謝があれば
それがやさしさに変わってくるのです
やさしさは 人・物・金を生かし使いこなす
「礼と敬」から始まるのですから…。 |
2020.7.30 |
物事は その時々に合わせ
コツコツと慎重にあたってゆけばそつはない
それが時に合わせ 時を活かすことにつながる
その時に合ったことだけに神経を使ってゆけば
必ず 時を活かし 流れをつくるもの
たとえすぐに答えが出なくても
いずれ芽が出る種を育んでいるのだから。
良いものは良いと言える人になるといい
それが素直であり
現実にそっている自分ということだから。 |
2020.7.17 |
人間は日々の中で
自分の適性を知り 物事の適格性をみつけ
充実した生活を営む
それが仕合せという。
人は 頑張ってばかりでは自分が疲れる
それよりも 人に素直にお願いできる人になれば
身軽になれる
ただし相手を利用しようとする心はいけない
お願いは いつか返そうと思う 礼と敬の心。 |
2020.7.9 |
教えは
自ら日々の生活を楽しく行おうとする人の中にある
教えは
天にそって人との輪を求めてゆく温かさ やさしさのある人に
勇気と智恵を与えてくれるもの
「ありがとう」「すみません」「ごめんなさい」「おねがいします」
この四つの言葉を心から言えた時
もうその人は神仏の世界の心の人である
あとは天にまかせ 悪い種を蒔かないように自重し たしかめて
日常を楽しく 自分の取り柄を出し 人と仲良く助け合い
円滑な生活を営む努力をする
その姿に神仏は微笑み 見つめてくれるだろう
神仏の縁は まごころとやる気しかないから――。 |
2020.7.3 |
生きることにワクワクしてきた
自己自我を横に置き 自分を空にして
物事を素直に見 行ってゆくと
すべてが新鮮に感じられ ありがたい
時をいかすとは 時を知り 時を消化してゆくこと
これは決しておごるでなく
今と自分との織物の一部を知り
智恵を頂いたことへの感謝のこころ
そしてそれが観音様の言われた
「自分は時によって育てられている」ということだろう。 |
2020.6.26 |
日々の経験を通じて学んだことを
着実に自分の知恵にしてゆく
その積み重ねが生きるということ
その知恵により 人は物金を生かすことができる
ただし物金はこの世だけのもの
あの世では必要ない
あの世では この世での物金に対する思いが残るだけ
だから良い思いの為に 物金を生かすことを学ぶことです。 |
2020.6.19 |
たましいは 新しい経験と出会いを求めている
それは 美しい人になる為に生まれているという心でいるから
たましいは すべては前向きなはずなのに
肉体をいただき自己自我を持ち始めると
つい自分勝手になり 醜い汚れた己を出してくる
本当に悲しいものだ
常に意識を自分に向け
自分に対してのやさしさ 思いやりを持つことである
人と競うのではなく 自分の中の己と戦い
常に素直な 正しい見方 捉え方を
自分の中に求めてゆくといいと思う
それを謙虚 実直 まじめという。 |
2020.6.4 |
美しい顔は
美しい心から備わるもの
綺麗と美しいは違う
心丸く 素直で 清純な時に
人は 美しい顔になり
時を尊び 時を敬い行う時
人は 美しい心になる。 |
2020.5.27 |
人は 現実に対して自分の好き嫌いを横に置けたら
それは空のはじまり
人間は現実に対して素直に消化してゆくところに
無の感覚に近づいてゆく
空の時は 意識があり
無の時は 自然にそって無意識なり。
人は理屈を言わず 六根清浄の心でゆくがよい
それが 己我無(拝む)心に近づく 又近づきやすい
六根清浄とは 現実の今(時)に 与えられた役に
全身を体当たりしてゆく心。 |
2020.5.14 |
たましいに品格のある人は
つねに真実への追求の心 姿が見られる
自然と一体になることをよろこびとし
物の価値をいかし 自然に対して感謝の心をもつ
だからつねに心が新鮮で 物金への執着はなく
無への挑戦をしてゆく
そのような心を持った人はめったにいない
色気や見栄もなく 人を意識せず 自己主張もしない
その人の心は天にそって どこか空気のような人
それだけ純粋で無邪気な人といえる
肉体は老いても 心はつねに青春のような人
いつまでも心若く明るく
死ぬまで自然(真理)を追究してゆく無心の人
心は天使のような人。 |
2020.5.8 |
心(たましい)が凛としていると
気はシャンとしているもの
凛とは 厳しさの中にやさしさがあり
正しく行動できる品性が備わっていること
シャンとは 姿勢を正し 物事を正しくおさめる姿
いくら頭でわかっていても
気が正しく動けないと凛とした心にはなれない。 |
2020.4.27 |
常に物事を気(感情)でなく
心で聞けるように
心で見られるように
心で捉えられるようになると
すべての煩悩から解除される
気は ただ余分な苦浪(苦労) を生むだけのもの
人はそのところを感じないと いくら口で言っても
自分の心(たましい)に届かないものと知るとよい。 |
2020.4.17 |
あたり前に不足を言わず物事が出来た時
人は 人間としての資格を持つ
ああだ こうだと自分にとらわれている間は
まだ人間になってはいない
淡々と物事を捉え 今を活かすのみに気をむけてゆく
またそれを生きがいとして日々を送る
それが 自尊そのものの生き方と言える
人は 自分の汚れ欠点を一皮一皮浄化し人間になってゆく
そして人間になってから本当の尊い生き方が始まる。 |
2020.4.7 |
病は
自分を整える為の神様からの啓示であり警告である
病により自分を見直し整える
整えるとは それぞれの人が生まれた意味にもどること
本来の自分の気質を見直し
今の有り方を通じて 正常な自分にしてゆくこと
正常とは 理にかなった生き方をいう
それを自知という。
手当は
今の自分を素直に振り返り
反省と誓いの繰り返しで 正常な自分に整えてゆく
また 体に合った手当てをして補ってあげる思いやりも必要
ともあれ 自分の体は 自分でやさしく見てあげること
やるべきことをやり あとは神様の真に身を合わせる
その素直さがあるか 即ち 自尊の姿になるかどうかである。 |