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今週の教えのことば 「心をあなたに…神仏からの祈りのメッセージ」

2024.4.12

人は 子をもうけることにより
自分一人ではできない経験を得る
子は 親にとって自分を見る知るありがたい鏡である
よい子に育つかどうかは
親の心の持ち方 子への接し方による
親が 誠実さやまごころなく子に接する時
その子の欠点を増長させることにつながる
親子は 一番身近な学び人同志と思い
互いに自他の安全と自己の成長をはかり
子が一人立ちするまでの間柄として
人間親子としてゆくこと
子なき人は その分社会に貢献し
自分を成長させてゆくチャンスを頂くとよい。

2024.4.1

人は 先のことを案じるより
今必要なことだけを考えてゆけばよい
それを適確という
適確に行動するには 筋がわからないと出来ない
筋とは物事の道理に適った当たり前のこと
そのために 人に教えを請い 書物を読み
失敗を恐れず 経験しながら
一つひとつ身で覚えてゆくしかない
とりわけ 神仏の教えや智恵は 
母が子に惜しみなくそそぐ愛情のように
無限のやさしさをもって私たちに示してくれている
余分なことを考えず 素直に感謝して受ければよいだけのこと。

2024.3.26

この世は さほど考えることのないところ
今来ることを素直に見て それをいかに活かしてゆくか
必要に応じて適確に対処してゆけばいいところ
その繰り返しでこの世を生き 卒業してゆけばいいところ
来世 また縁あるところに生まれ また新しい知恵を得てゆく
本来 人生はその繰り返しである
人は 肉体をもつと 自身の感情にふりまわされ
折角の問題集を難しくとらえすぎ
素直な生き方を見失ってしまう
精進とは 自我との対話であり対決である
つねに永遠のたましいをもとに考えてゆけば
悔いのない 心残りのない 精一杯の人生を送れるもの。

2024.3.18

人間は 自分の欠点 未熟さを正し
自分を成長させる為に生まれてきている
そのことに気がつかない限り 
いつまでたっても心の休まらない日々を送ることになる
自分本位の感覚だけで 自らの汚れをかえりみず
尊い時間をむだに過ごしてゆく
なんともったいないことだろう
生命(いのち)の時間は 物・金には代えられない
生きている限り 自分に責任をもってゆけばいいだけのこと
あとは 天におまかせするしかない
本当に自分にとって出来ることは 生きている間だけのこと
そのことを自覚するしかない。

2024.3.8

私たちにとって教えを学ぶとはなにか?
心の迷いを振り払うためか
教えを鏡として自分の心を見るためか
新しき智恵を知り学ぶためか
すべては無に等しく すべて自分の中にある
自分の中に神仏の心ある限り
やらなくては罰があたってあたり前
罰とは 自分を戒め励まし救ってくれる神の愛と思う
罪は 人間の生き方により整理できるが
罰は 身を整理してゆく一つの節と思えばよい
罪は 今悪い心を出さず
今悪い行いをしなければよいだけのことである。

2024.2.29

天を仰ぎ 地を拝み 自分をしっかり見つめる
そして正しき生き方に素直にそってゆく
それを仕合せというだろう
仕合せは 時を正しくとらえ 時を活かすところに生まれる
たとえ失敗しても それは失敗ではなく
現実を知ったという 自分にとってはよろこびであるはず
そこには 人を意識することなく 時と自分との歩みがあるだけ
はじめは 人を意識するのはよいが
いつまでも人を意識するのは愚かである
なぜなら 天の流れは 人ではなく自分との調和であるから。

2024.2.26

本当の苦労は すべて自分の為の知恵になり
それが人の為にも役に立つもの
本当の苦労の意味を知らなければ
いつまでたっても自己満足だけの気の世界で終わってゆく
日常の中でその気を知る為に神仏の教えがある
神仏の教えは自分の気を映し出す鏡といえる。

2024.2.16

正しき生き方は
自分(たましい)を安心させてくれる
正しき見方は
自分に新しい自分を知らせてくれる
正しき行いは
過去を懺悔し 新たな正しき自分をつくることにつながる
すべてを正しく見 聞き 行うことが
この世に生きている一人の自分と自覚することにつながる。

生きることは なにも難しいことはない
難しいのは それを素直に受け入れない
今の自分よりも 自己-自我がつよい
過去を引きずる心(気)である。

2024.2.9

生きるとは
決して人ではなく 自分のあり方であった
人がどのような行動をしようが
自分の正しい見方 捉え方 行いで 
自分の気を見るということ
その為に 神仏の英智は
私たち人間にとっては かけがえのない教えといえる
短い大切な時を上手に活かしてゆくために
もう一人の自分と出会い 共に学んでゆくために。

自分のわるさを変えようと努力し始めた時
前向きな素直な自分がそこにいると感謝せよ
それが修行であり 精進のはじまり。

2024.2.2

自分自身をたのしくするには
まず おしゃれをしよう 心のおしゃれを
いつも新鮮に物事を見て
いつも新鮮に今に向き合う
それが元気を呼び やる気をつくる。

自己 自我をよこにおき すべてを空にして
真実のみに心をよせてゆくことを信心という
神仏の教え(法灯)は そのための学びといえる
私たち人間は その法灯をたよりに
暗夜 迷いから救われるのである
法灯とは 
私たち人間に真実を説いてくださる尊い教えである。

2024.1.25

神は いつも示し申されて 私たちの本心を見られている
そして日々の生活の中で 早く自らを清浄して
自分へのいたわりと戒めの中から
気楽な生き方に戻れと祈ってくださっている
本当に無条件の愛である
人は 人間になるための問題集を 家庭や職場の中でいただき
早く正気になり お互いの良さを認め その良さを出し合い
感謝できる人間同志になる その目的を忘れてはいけない
物・金は その尊い生き方の一つの手段ということ
自分の身巾の中で 工夫工面により
物・金をいかし 心をたのしんでゆけば
簡素の中に 真実ありでゆくだろう。

2024.1.17

生きるとは 作法を身につけること
作法とは より良く生きるための智恵
現実の中で
一つひとつ法(真理)を身で知り 法に身をゆだね
やがて心に一つの調和を現す。

なにごとも 真剣に取り組むところに光が見えてくる
その光は 今の気の悩みを消す智恵を与えてくれ
その智恵が 自ら実行する勇気を与えてくれる
ありがたい神の愛である
神の愛は 自分に対してまじめに取り組むところにうまれる
けっして 棚からボタモチではない。

2024.1.12

本来の自分の気質は 無意識な中にあるもの
意識している時は 本来の自分ではなく 作っている自分の姿である
常に正しき自分を作るために意識することはよいが
この世だけの強弱のために意識することは
また新たに自分に余分な罪また汚れを植え付けてゆくだけになる
その悪い種をつくらせないために 真理 神仏の英智が大切
真理は 生命の源と思えばいいだろう。

人が人を育て
人が人をだめにする
人即ち自分というものは
すじがないと つねに気がゆれて安定しないもの。

2023.12.29

真理を学ぶ者は 
人ではなく 常に天と語り 
理に合わせてゆくことが出来る
人の気に左右されることなく
ひたすら天の理をお聞きしてゆくもの
物事を 一つひとつ気を抜かず粗相なく受け
身に智恵として入れてゆくもの
真理を学ぶ者は
常に神仏の心にそい そして人間としての心を持ち
この物質界の中で 天の心を合理できるかを学ぶ者。

2023.12.22

人は お互いの欠点を日常生活の中で出し合い
その中から自分を知り修正をしてゆく仲間同志である
人は 他の人がいないと なかなか自分を知ることが出来ない
結婚により 人は助け合いの中から お互いの欠点を修正し
日常生活を大切に無駄なく無理なく過ごすことができる
夫婦という型にはめず 人間夫婦として共に助け合い
自分のおかれている立場をつねに見直し確かめ行動する中に
人間同志としてお互いに必要な人に育ってゆくもの
お互いに迷惑をかけないでゆく思いやりこそ 温かい人といえる
やさしい人は 人にも自分にも迷惑をかけない
公平な物の見方と行動できる人を言います。

2023.12.15

神仏の教えは 自分の気を正しき方へ導く道案内
それを素直に認め 素直にそってゆけば
無駄なく 目的に向かって歩むことが出来る
たとえ その道案内がなくとも
人は生まれた以上 この世で課せられた任務を果たさなければ
この尊い世に生まれた意義がない
悪い人も良い人も 皆
この世でやらなくてはいけない責任をもって生まれたことを
思い直すことだ
人は皆 今世も そして来世も
自らの品性を磨き 真実の天の心に近づこうと
永遠の道の一時を歩んでいることを自覚しなければいけない。

2023.12.8

気 感情と違って 心には苦はない
心は すべてを浄め よろこびに変えてゆく
それは 白神様の「自知・即今・和」の教えそのものに通じる
この世に生まれ 新しい体験に興味津々の今を生きて
明るい素直な人 それが心の人。

本当の苦労をした人(辛苦愛楽を身をもって行った人)は
相手を励まし 労りの言葉が言える
ただし やたらに甘やかさないで
その人に 自分でやる知恵を与える。

2023.11.30

自分にとって 本来 この世は幸せだらけのところ
その幸せを知り この身に感じるために仕合せがある
欠点あるものは 自分の中にあるその因を確かめ修正し
借りのあるものは この世でお返しをして身軽になり
これといった欠点 貸し借りのない人は
これまで自分の出来なかったことを心ゆくまで体験し
その体験を通じて 一つひとつ自分の気質を修正し調整して
本来の人間になれるよう努めればよい
それがこの世というところと自覚できれば
この世ほどありがたいところはないのである。

2023.11.24

ゆったりと天に向かって
うるわしく咲いている蓮の花のように
つねに明るく さわやかで美しい汚れなき人
物事を知り これ以上ないぐらいいかす貪欲な人
極美を知り 追及する学び人として
人を見る力を学びながら 淡々と時をいかしていきたい
つねに 「ああそうか」「こうゆうことだったのか」と
素直に受け 心に感動していきたい
それが人に伝われば 共に知恵を出し合ってゆきたい
人はそれぞれ色が違うが 自分の色にこだわらず
天の理に合わせれば 皆どの色も美しくなるのだから。

2023.11.17

人は 働くところに自分を成長させることが出来る
知恵を出し 知恵をいかし 工夫工面して 智恵を得る
それが働いているということ ただ動くだけではだめ
死ぬまで 仕事を持つ人が幸せ。

人は 毎日を新鮮に捉えられる謙虚さが必要
変化の中から生長していくところに 生きたという実感がわく
自分におごらず この尊いこの世の時を活かすには
白神様の言われる「日々新たに」とは大切な言葉。

2023.11.6

自由とは
自分の責任をまっとうしていればそれが自由
自由とは
自他共に迷惑をかけないところに頂けるもの
人と自分の垣根なく 物事をあたり前に見て
そのあたり前の中であたり前に行動すること
それが出来れば その人はもう自由人
自由とは なにもこだわりなく流れている姿をいう。

楽しむということは
神仏の心の中にいると一緒
神仏の心とは
すべてを尊び すべてを活かそうとする心
だから身楽であり 気楽である。

2023.10.27

神仏の教えは 日常の中にあり
それを身に入れ消化し 人とたのしく交われればもう卒業
あとは徳の生き方に生まれかわるもの
それを自由の人という
自由の人は 礼を知り 礼の心で物事にふれてゆく
肩をはらず ごく自然に すきがなく
温かさと厳しさを持っている人 邪のない人である
自由の人は 最初から嫌とは言わず
まずやってみようと 素直に問題に立ち向かう人
つねに未知への挑戦をする人
自由の人は 真面目で それでいて自分をよく見せようとせず
その場が流れやすいように手を入れてくれる謙虚な人
いつもさわやかに 時の流れにそってゆく人。

2023.10.20

人は 余分なことをしなければ
本来の自分にもどり 定められた命をまっとうし生きてゆける
あとはその人の努力と周囲の協力の中で
人と出会い 物事を通じて成長してゆく
自分一人で生きていると うぬぼれてはいけない
神仏は 目に見えないはからいにより
その人のありのままの姿を示され 気づかせてくれる
素直な時は ほほ笑んで見守り 道を示してくれ
わがままな時は 早く素直になるよう警告してくれる
本当にありがたい灯であり鏡である
人は どれだけ正しく行ったかをチェックするしかないのである
人生は決して人のせいに出来ない。

2023.10.12

何か問題が起こった時
素直に私心を捨て 思い願いを横に置き
捨て身になって解決してゆけば 必ず道は開ける
縁ある神仏が光(智恵)をくれ 縁ある人が力をくれる
それを心のささえとして
自分に汚れをつくらぬよう心がけるとよい
神仏も心ある人も 汚れある人には縁はない
それが その人に余計汚れをつくらせないことになる
本来 人は自分の為にこの世に生まれ 精進の道を歩む
人は 永遠の道の旅人であり
この世は その永遠の道の途中なのだから
そのことに気がつけば
自分に失礼のない生き方をする意味がわかるはず。

2023.10.6

自分が愛おしいから 前向きに戦える
病気になったら 早く治してやろう
気が重くなったら 励ましてあげよう
次から次へと 自分を身軽にしてあげたいと思う。

自分を愛おしいと思うのと 自己愛は違う
自分が愛おしいから 悪いこともしないし
今を大切に拝んでゆく。

2023.9.29

つねに物事をよく受け入れ つねによく動き
つねによく人と語り合う人になること
そのことを心に 日々を受けてゆけばよい
それが 生きる上で一番やりよい生き方
何ごとも やるべき行いと思い 仕事と思って
たのしく前向きに物事に取り組み
夜寝る前に「ありがとうございました」と
その日一日を感謝し 拝める人になろう
その拝む心が神仏の心に通じる
自分を汚さないように 自分を愛おしく見られるように
そしてしっかり神仏の英智を身につけ精進してください。

2023.9.22

人の死は いくら案じてもおびえても関係なく訪れるもの
それは 人間のはかり知るところではない
だから人間として 常に心残りがないように
心を空にして あとは 神におまかせし
従来の人間のあるべき姿になればよい
死を恐れるよりも死を心よく迎え入れる人になること
たとえどんな一生を送ったにせよ
「さようなら 肉体の私」と感謝してゆけるよう
心身一体の魔のない生き方をすればよい
それが仕合せの素ということ
仕合せは 幸せの中にいけるものだから。

2023.9.12

人は 生きる気力があれば大丈夫 大丈夫
生きる気力とは 今自分のやるべき役を見て動くこと
そして それを邪魔する自己・自我との戦いをしてゆき
人間としてのまじめさを学ぶ。

人間とは
今の時を大切に受け
自分を向上させようと精進する人をいう
そこには 時を無駄なく活かすことに
よろこびを感じる素直さが見られる
それが 神仏の心を歩もうとする人といえる。

2023.9.5

人の生死は 人間ではどうしようもないが
病気 災難は ある程度ふせぐことが出来る
自分自身の気を浄め 心を清めてゆく
その勇気とまじめさがあれば
魔も 寄りつく隙がない。

真実を見つめる
これを素直という
素直は 自分の願いなく 今の時を見る心
それが 空の心であり
その時 自分は道理の道にいるということ。

2023.8.25

人は この世で 自己・自我の感情を整理し
苦の因である自らの汚れ(おごり おびえ ねたみ ひがみ)を浄め
物・金を通して 人との交わりの中から
人との輪 そして 和を学ぶとよい
その永遠の学びの中で
人は 気を心にかえて 人間として成長してゆく
この世は その為のところと早く気がつき
余分な感情に振りまわされないように 自らを戒め律し
人間として 一人一人助け合い
この世をたのしく過ごしてゆける人になることです。

2023.8.21

六根清浄とは
今生きている自分の肉体のくせに振りまわされず
たましいの中にある欠点 悪にのまれず
自分を害から守る誠意と思いやりの心を持つことをいう
つねに新鮮な感覚で 汚れ 邪を入れない勇気を持つこと
それが 心という よい生き方なのです
病気 事故その他不幸な出来事は
決して悲しむべきものではなく
自分の生き方を見直すための
天からのありがたい時間と思えばよいのです
かならず どこか無理をしていた自分があり
そのことに気がついたことに感謝すればよいのです
本来 この世は 自分にとって たのしい よきところですから。

2023.8.4

自分の気持ちよい生き方が良い(正しい)とは限らない
自分の気ではなく
天の心にそっていなければ意味がないのだから
天の心とは
自己・自我にとらわれず 常に公平・平等・対等を旨とする
物事の捉え方が 天の心にそっていなければ
人間として 生きている また生きてゆく価値がない
神仏は 未熟な私達に 愛を説き
合理の教えを伝えて下さっているのだから…
そのところを常に心の糧として
自分の中に邪をつくらず 邪にふりまわされない
そうゆう自分になることがスタートである。

2023.7.20

失敗や 間違いを恥じることはない
失敗や自分の犯した間違いを
隠したり 現実から逃げようとする自己を恥じよ
失敗により 現実を知り 物事を学び
自分自身が育ってゆくもの
失敗や間違いにより 自分の未熟さを知ったということ
自己・自我が強いと 勝気になり 自分の思いにこだわる
なんともやっかいなもの
人は 素直に今という無色を認めたくないようだ。

2023.7.18

人との輪そして和を求めるものにとって
日常の中には 自分自身の向上の為の贈り物がある
その贈り物とは
物事の道理を知り その道理に心をよせ 身で動き
神仏の英智に触れ 気浄め 心広くしてゆく
その安心・安定の生活を営むことである
それを「自知・即今・和」と言う
行 即 智 即 天への道である。
(行動の中から智を知り 智の中から真理を知る)

2023.7.10

人は 観念してしまうと 気が安定する
観念するとは 現実の中で
自分のおかれた立場に諦め納得した時に起こるもの
諦めるとは 物事を明らかにして覚悟すること
自己・自我 自分の悪さを横に置いた時に起こる情。

気のままに 人に迷惑をかけたり いやな思いをさせるより
人に親切にしてゆく方が 気がらく
結局 親切は自分自身の今の気を見ることができる
戒めは そうゆう時の言葉
そして その行いを通じて
自分の中の邪を整理してゆくところを律するという。

2023.6.30

迷うことは もったいない
悩むことも もったいない
迷う間も 悩む間もなく
すぐ動いて 問題を解決するとよい
そのほうが時を活かすことになる
新しい智恵を知り 勇気をもって動き出せば
今 迷い悩むひまがなくなるから
ともかく自分の為に 動いてあげたらいいと思う
うかうかしていたら もったいない もったいない
やることがいっぱいあるから…
しあわせがそこにあるから…。

2023.6.23

自分を救うものは
自分への誠意とまごころである
それが 神仏の心にそって
自分を整え 自分を磨いてゆく勇気といえる。

今 自分の分として
真面目に役に取り組んでゆけば
必ず道が開けます
まず 苦や自分の欠点から逃げないで
物事に取り組むことです
それが 自知 即今になりますから。

2023.6.19

神仏は
自分を知る為に 人がいて物金があると言われる
そして その人・物・金との輪 和を
どのようにして得るかを教えて下さっている。

自分の中にある 欠点 汚れを自ら浄化する
それが六根清浄といえる
六根清浄により 自分の今の有り方を知り
自分の苦の因を知ることが出来る
神仏の教えは
六根清浄を早く身につけるためにあるのです。

2023.6.5

人間は欠点があるから生まれてくる
生まれた以上 なにかあると自覚した方がよい
また いくら良いたましいでも 肉体を持ついじょう
自分の気が 父母や育った環境により
おごりをつくり 新たな難を呼び 汚れをつくってゆく
人は まず 肉体(五感)の浄化から始めなくてはいけない
即ち 六根清浄から始めよということ
六根清浄が 人が人間になってゆく為の道すじ
人間になれば
自分を見る品性(知恵)が少々出来てくる。

2023.5.24

心を学ぶものへ
人は自分の為にいてくれる
物は自分の為にあり
金も自分の為にある
ただし 生きている限りのものとわり切り
人・物・金に執着せず
自分の心の成長に活かしてゆくとよい
つねに 神の理に基づいて
この世に生まれ生きる意味を求め
それぞれの分で時に合わせて生きてゆく
それが心を学ぶものの資格といえる。

2023.5.12

人は なにかにつけ 気(感情)により
よろこびや悲しみ すべての情が左右される
そのあばれ馬のような気を調整するには
人は 心 即ち誠意を必要とする
自分(たましい 心)と自身(肉体のくせ 気)を一体にするには
その人が 自分に 自身に思いやりを持つところから始まる
だから人は 「即今」「即今」「即今」今しかないと
自分に言い聞かせ 戒め律して 動いてゆくしかない
それだけ この世は油断できない泥沼ということだろうか?

2023.5.8

生きるとは
今を活かしてゆくこと
人・物・金を通じて
自分を活かすことをよろこびとしてゆくこと
疲れた時は ゆったり ゆっくりとして
気を楽にして 平穏な生き方を心がけ
気を心にしてゆけば 自分に負担はない
ゆったり ゆっくり そして凛として。

2023.4.21

神から見れば 人も物事も
なにが良くてなにが悪いということはない
与えられたその時々の問題や物事を
真剣に自分の責任と義務で
いかにやり切ってゆくかだけである
理にそって正しくことを行った人は よい人
自己自我にとらわれ 物事をはかろうとした人は わるい人
と 区別されるだけ あたり前の教えである
結局 よい人わるい人は 自分の心の中から始まるもの。

2023.4.13

ありのままの中に やすらぎがある。

まごころは
決して人の為にあらわすものではない
自分の心に 安心とよろこびをもたらすものである。

生きる自体 まず自分の分に立ち向かえ
その為に 人にお願いするところは素直にお願いし
礼と敬をもって貸し借りのないように過ごせばよい
物もお金も自分の心をあらわすためのもの
そして自分の気を安らかにしてくれるもの。

2023.4.7

人をいかし 物をいかすことが
自分をいかすことにつながる
自分の良さは
人に伝えていかされてゆくもの。

所詮 生きるとは自分に立ち向かってゆくこと
それがわかれば 余分な苦浪(苦労)をしなくてもよい
苦浪とは 無駄に自分に汚れをつくり 難を作ること
その自覚により 一つの道が生まれ 開かれてゆく
神仏の英智は 尊い本物への導き(道しるべ)
大切に頂き 学び
身を通して 神仏の心にふれてゆく。

2023.3.27

身を通して経験し 気が納得してはじめて
たましいの方に入ってゆく
なりゆきで覚えたものは
身にもたましいにも入らない 又 入れないもの
優れた職人は 技術を身につけるために
日夜 学び行い 心に入れてゆく努力する
体で覚えるとは そうゆうところから芽生える
神仏の智恵の学びも同じ。

2023.3.17

神仏の英智は 迷った船にとっての灯台のように
私たちの心の迷いを照らし導いてくれる光といえる
心の中に 英智という光を求めてゆく限り
人は 自らの宿命を知りそして整え (自知・即今)
自然に精進の道を歩むだろう
生きるとは これでいいということはない
だからこそ 人生はやりがいのあるものといえる。

2023.3.10

時の中で 自己自我を横に置き
現実に合わせ 真理にそってゆく それが合理
時は いつも公平であり平等である
合理を学ぶものは
自分のやるべきことを行い
人に迷惑をかけない思いやりを持ち
今 何をやることが自分を活かすことになるかを考え
人に甘えず 人との輪を大切にする人になること。

2023.3.3

心身共に健康に過ごすには
体が疲れた時には 体をいたわり 癒すこと
心(気)疲れたる時は 心を癒し 浄め
自分の心の中を常にすがすがしく保つとよい
それが自分と自身への感謝であり
自分の肉体と感情に対しての 私の仕事であると自覚せよ。

合理とは
真理に対して
自分の気がどれだけ確実にそってゆけるか? という
神からの問いかけである
合理 即ち光 光 即ち流れである。

2023.2.24

精神(こころ)の進む先に仏あり
精神(こころ)とは
神仏の意図に心合わせてゆく汚れなき姿
そこには苦はなく よろこびと己に負けない強さがある
仏は
すべてを受け すべてを活かす よろこびの人
全身が 善気に満ちあふれ
たましいは よろこびにあふれている光ある人
それが因縁浄化のあかし。

2023.2.13

この世には 本来苦はなく
苦と思うその気は おびえから出ている
人生に失敗はなく 未熟なために出来ないだけ
だから悔いることも おびえることもない
大事なことは 真剣に一生懸命やれたかどうかだけ
あとは 一つひとつ本物を知るまで
根気よく自らを育ててゆきましょう
種を蒔き 育て やがて花が咲き 実のなるように
この世は 人との輪により
皆で力を合わせてゆく学びのところ。

2023.2.3

教えを知り学んだ人は
物・金の意味と使い方を知っている
生きているということは この世のほんの一時だけのこと
物も金も その一時に必要なだけ 執着するものではない
だから 自分の心を豊かにし 身につくものには 快く使える
そしてそれが 品性を豊かにすることにつながる。

2023.1.30

物事がスムーズに流れない時 なにか壁にぶつかった時
「あわてない あわてない」と自分に呼びかけてあげ
自分を守るより 人に対して迷惑をかけてはいけないという
あたり前の心になること
そして 一つひとつ現実をふりかえり
気あわてず 気あせらず
粗相なくゆけるように考えることが第一
すれば 自然に物事を振り返り確かめて
その原因を見つめることが出来る
人の目を気にせず 人の気にのまれない自分をつくること
それがその壁を打ち破ることにつながる
「あわてない あわてない あせらない あせらない」
と 自分に言い聞かせてゆくことである
自信は
一つひとつ失敗して体験したあかしである。

2023.1.19

いいことだけやってゆこう
それが自分の気が休まることになり
自分がよろこぶことになるのだから
いいこととは 天の心にそってゆくこと
そこには 人との輪があり 和がある
お互いの取柄を出し合いながら
一つひとつ 実ある自分をつくってゆくことが
天に素直にそっているあかしの姿と思う。

2023.1.16

この世で大切なことは
この体をいただき 生きているということ
そのおかげで 人と交わり 物事を知り
その経験の中から 心動かすことが出来る
この世に生を受ける それは神様の贈り物
その生を大切に扱い いただき じっくり味わうとよい
そこには 人間の小さな慾望は通用しない
すべては神様のはからいによるもの
だから 息あるうちに 我身を大切にし
心身共に永遠の道を歩む心を養うべし。

2023.1.5

人間
常に精一杯生きている人になれば
前世の人も 父母も 神仏も 許して下さるだろう
そして 安らぎの世界へ導いて下さるだろう
今を いかに真剣に まじめに生き
人や物事に出会ってゆくかを
もう一度自分自身に問うてみてもよいと思います。

私は 心よい生き方しかしない
それが一番私自身の生き方に合っている
余分な神経は 魔を呼び 苦を呼ぶものだから。

2022.12.22

人は とかく余分なことをやりたくなる
それだけ自分を知らないということ
人間は 物事を見定めて 余分なことをせず
あっさり スッキリした自分を作ろうと努力する。

健全な生き方をするには 神仏の心が必要
神仏の心を知れば
おのずと無駄な考えや 余分なおびえ不安が消える
人は決して強いものではないが
責任とやさしさが 自分を律することになる
それが 強い人ということ。

2022.12.9

人間 やることがいっぱいあるからうれしい
あれもこれもと気があわてるだけ
うれしさがいっぱいある
人間 やることがあることが
幸せということだろう。

人は
生きることに怯え 老いることに怯え
病に怯え 死を怯える
もういいじゃないか 正しいことをやり切って
後はどうなろうと おまかせして
自分を見てゆけば……。

2022.12.2

身軽な人とは
自分としてやるべきことをやり 自分に感謝できる人
そうでない人は 素直に自分をみて 自分の気に聞いてあげ
早く気を軽くしてあげること
それを修養といいます。

人は 余裕のない時こそ
その人の本体(本心)を知ることが出来る
余裕ある時は 自分を飾ることも出来るが
その時々の物質的な捉え方により その人の品性が見られる
品あるもの いつも冷静で 心穏やかなり。

2022.11.17

人は 常に気という袋を空にして
たのしいこと 良いことをいっぱい詰めてゆけば
自然に 元気とやる気とよろこびにあふれてくるもの
その反対に
願いや自己中心の理に合わないものを詰め込んでゆくと
自然と 人に対して怒りやいら立ちが増え
あげくの果てに 人のせいにして自分の強情を押し出してゆく
すれば人からも嫌われ
余計自我に固執し 孤立した自分をつくりだし
尊き時間を無駄にし 苦しい辛い人生に日々過ぎてゆく
それだけ 気とは厄介なもの
そうゆう時こそ 勇気をもって法光に近づいてゆけば
気が心へと解放され 人間らしい感覚に戻ってゆく
もともと人は 人間になろうと生まれてきているのだから。

2022.11.14

私は 私を見つめ
私は 私を認め
私は 私に対して敬してゆきたい
そして共に生きていると実感して
この世をたのしみ 知ってゆきたい
つねに天の心にそって。

誠心誠意で生きてゆけばよい
それが 自分というたましいの自立であり
自尊である
自尊とは 自分を大切にして汚れをつくらないこと
すべては 今生きている自分へのプレゼントといえる。

2022.11.4

生きることの根本は
まず健康であること
そして今やることによろこびをもつこと
そのくり返しの中で 少しずつ自分を知り活かしてゆく
その安定した心で 日々新たに迎えられる人になればよい
案じること自体ちっぽけなこと
それがわかれば すこやかに動けるもの
「健全な心に 正しき感覚が出るものと知れ」。

2022.10.24

生きているから 物金が必要なだけ
人は 生きている間だけのことを心配してゆけばよい
今日一日 今日一日 精一杯の心で
慾をかかず 心の欲(智恵)を大いにかいてゆけ
人に 迷惑をかけなければそれでよい
もっとよいのは 自分に迷惑をかけないように
サラサラとよどみなくゆける人にまずなることだ
慾望 願望があるかぎりは駄目
希望と対等な要望はよいが…
すべてありがたいと取れれば 迷いも悩みもなくなる。

2022.10.14

人の為にやっているのだと錯覚し
苦労しなくてもよいことで自分を苦しめ
あげくの果てに人のせいにし 自分を甘やかす
その悪いくせが自分の中にある
その悪を払うのが 真理であり 勇気である。

自分は 今やるべきことをやっているか
と 自分の心に尋ね動く人を
仕合せの人という。

2022.10.11

あせるな 嘆くな
今を活かせば そんな〝ひま〟はない。

花は 人に奉仕の心を
動物は 人に身巾を教えてくれる
人は 人に何を教えてくれるだろうか?

2022.10.3

つねに自分の心に希望をもたせてあげること
すれば 心落ちつき 安心して
今 やれることをやれる
人間とは そういうものだとつくづく思う。

人は 心の中によろこびをもってゆかないと
不安になり おびえを感じる
弱いものほど 余計 今 動くことだ
そして 一つひとつ自信をもたせてあげ
おびえ 不安から離してあげることだ
それが自分への親切というもの。

2022.9.26

自分に発破をかけ励ますということは
自分を案じ大切にしているあかし
ただし 目先の慾にでなく
永遠の因のたましいの為に考えよ。

この世はうれしいことにあふれている
正しき心と温かい心でゆけば
神さまがいいようにしてくれる
それがうれしい またたのしい
まず 自分の気をうれしく たのしくさせてあげること。

2022.9.14

私(感情)は つねに私(たましい)でゆきたい
たましいの私は
良いことも悪いこともわきまえているから
人は なぜ迷ったり悩んだりするのか
悩む前に 迷う前に
今どうすればいいだろう という
自分へのやさしい言葉はないだろうか?
サッサと動けば 幸せが来る。

2022.9.2

人間は
自分の生まれた意味に素直になり責任をもってゆけば
人や物・金にまどわされず
常に正しき判断に心よせてゆくだろう
それには まず自分に対しての誠意を持ってあげる義が必要
物・金の価値は価値として認めるが
それも 所詮生きている限りのものである
あまり先案じせず 正々堂々と生き
神仏の心に身をよせ 心よせて おびえを捨てさり
神と縁ある人間を 自分の中につくることである
神の心にそってゆくものは 決して不行にはならず
おだやかに この世のよさを身巾の中で活かしてゆくだろう。

2022.8.26

この世は 舞台と一緒
脚本 監督 舞台づくり 俳優
すべて 皆の得手で成り立っている
社会の仕組みの縮図のように。

人は あたり前の常識を学び 身に入れてゆく
その常識を知ったならば
あとは それぞれの気質 特徴でつやを出してゆく
それがその人なりの香りといえる
いずれにしても たましいを汚れから守ってあげようという
やさしさ 温かさがないと 感じ 出来ないもの。

2022.8.18

人のせいにするのは
人をあてにしている甘えの気である
人は 意味あってこの世に生まれ この世を生きていく
本来 人のせいに出来るものはなにもない
人は 自分の汚れ・悪を整理し
前世の借りを返すためにこの世に来ているのだから…
肉体をもつことにより感情がうまれ損得の計算が始まる
そこでその人の品性と肉体との対決により
今その人の品格またその人の努力のあかしが見られる
自分のたましいを大切にし 感情に振りまわされないこと
そのために 自分を知り 自分を律してゆくといいと思う。

2022.8.5

私の中に 私の知らない私(良心)がいる
私の知らない私なのに 私のことをよく知っている私
私の中の私(良心)が
「今どうしたらいいか あなたが一番知っているはず
自分の心に素直になれば 余分なことを考えず
やるべきことに意識がいけば 必ず道が見つかりますから
その道を信じ あわてず一つひとつ心に入れて歩めば
あなたは 心落ちついてゆけるから」と
私の中の私が励ましてくれている
私の中に もう一人の私(良心)がいた
良心は 常に 冷静に 私を見つめている。

2022.7.26

義(やるべきこと)をやって
己を整理し
敬を行って
自らに安心を与え
礼をして
自分自身を尊ぶ。

2022.7.21

人は 感情(気)があるから
ねたみ 嫉妬 やきもちはあたり前
その感情が 自分への挑戦にもなるし 負担にもなる
すべては 神から与えられた問題集である
その問題に挑戦し 人に対してうらまず ねたまず
己の悪さ いたらなさを知り 努力し 心を知る
その精進する姿が 今世この世に生まれた意味といえる
人は 一人では生きられないと知り 自己・自我に打ち克ち
礼と敬により因縁を浄化してゆく
それが 自尊 自立ということ
生きるとは
感情を感性にしてゆく
ただそれだけのことである。

2022.7.11

きれいな心で 良い 悪いをしっかり自覚し
失敗を恐れず 今を大切に生き
本物を自らの感覚で知ってゆく
それを精進 また美しい(調和)あり方という
日々を 几帳面に整理整頓して
清らかで楽しい生活を心がけてゆく限り
人は 現実と向き合ってゆく真剣さがそこにある
そして六根清浄 六根清浄と
自らの気を整え お詫びしてゆくだろう
四つの言葉で。
(ごめんなさい ありがとう すみません お願いします)

2022.6.27

人は いずれあの世に帰り
この世での自分の生き方に合ったところに送られ
この世に生きていた時につくった汚れの浄化の道をゆく
それを因果応報というでしょう
自己 自我の欠点にのまれないように
しっかりした温かさ やさしさの心を知り
「浄化は 自分を尊ぶところから始まる」
そのことに早く気がつくことを祈ります
もとの自分自身になってゆけるように。

2022.6.17

私の心は
皆さんを 心丈夫にしてゆく祈り
心丈夫とは
物金にのまれず
今生きている自分の足元をしっかり整えてゆく
自立(自律)した姿
天に向かい 自然の理に合わせてゆける精神力をもち
今生きていることに感謝して 今を整えてゆく
その優雅な おだやかな心情で
人に迷惑をかけず 日々を楽しく
工夫工面のよろこびでいきたいと思う。

2022.6.9

人は 与えられた時の中を
ただ精一杯うけ 自分の役を全うし
工夫工面で無事時を活かしてゆけばいい
自然の営みは 人の気とは関係なく流れてゆく
それをありのままに受けてゆく人を人間という
人間は 常に時に挑戦し
自然の恵みを上手に活かしてゆく知恵のある人
それを賢者という。

生きるとは まず気を楽にしてあげ
それから 気を楽しく
心の方へ引っ張ってあげるとよい
すれば何も心配はいらない
気と心が一体ならば
何も気に病むことはない。

2022.5.31

身 治めれば 気も安定する
身 治めるには
現実に忠実になろうとする素直さと素朴さが必要
春夏秋冬の季節があるように
人生は いつも平穏な時だけではなく
あらゆる問題も自分の気を浄めるチャンスと感謝するしかない
本当にこの世はよいところ
人の気にのまれない限りは 物事の強弱はよい時もあるが
自分という器以上に無理させてしまう
そこのところを見つけてゆく
それがこの世の生きがいとよろこびといえる
人は すべてこの身で 要領と加減を知り 真実に近づいてゆく。

2022.5.16

人は 死ぬまで自分を見つめてゆく
それが自分への礼と敬
また肉体を与えてくれた父母への礼である
すなわち 即今 即今と 今を大切に
迷い 悩みの気を やすらぎの安定した心に導くこと
その為に 今を活かし 今に生きる自分になること
現実は 真実を知る問題集と思えばよい。

2022.5.6

生きるとは
すべて己の蒔いた種を刈り取ってゆくだけのこと
人はそれなりに苦しんで生きてゆくもの
それなりの中に 自分の良さ悪さがあり
それを一つひとつ見直し きれいにしてゆく任務がある
本来 人は 和を求め生まれ変わってゆくもの
罪をつくらなければ 余分な苦労はなく
泉のごとく 絶えることないよろこびを身で感じてゆける
季節を知り味わい 人を知り味わい 自分を知る
人間として 人間を生きるとは
すべてを 気ではなく 心で生きるということ。

2022.4.25

人の邪を直すことは出来ない
人の邪は 本人がその気にならないと消えないから
私は ただひたすら正しき生き方をやってゆくしかない
それが祈りと思う
人は みなそれぞれ違うもの
その違う一人一人が自らの花を咲かせるには
自然 即ち真に合わせてゆく勇気と
それが自分の任務であり責任という自覚が必要
自分のことは 各自がしっかりしてゆくしかない
人生は決して人のせいに出来ない。

2022.4.12

努力とは 真実に近づく心
気(欠)ある人が 物事を通じて
体で 自分を成長させてゆく言葉
努力は 精一杯ではなく
やろうとする覚悟 決心の段階。

今日一日 今日一日を
よく味わっていって下さい
今日一日 今日一日
体を通して
和を味わうよろこびを感じて下さい。

2022.4.1

人は 教えを学び 素直になり 自分の悪さ 欠点を知る
その悲しみにより
その人は 愛を知り 温かさ 恩を知ってゆくだろう
悲しみは 辛さと違い 愛であり 真への懺悔であり
自分を知り 前へ進むきっかけになる
それを 慈悲 慈愛という
悲しみは まごころから生まれるもの。

2022.3.25

肉体をもっているかぎり
自分の気(感情)から離れて生きていけない
その気を心に消化していくことを合理という
白神様の説かれる「自知・即今・和」の教えは
少しでも本来の人間性に目覚め 平穏で公平 平等の世をつくり
人間同志の扶けあいによって より良い人間生活を営む
そのための祈りの言葉といえる
末法の世に 神から問題集をいただき 各個人がしっかり学ぶ
これが真実との出会いというべきだろう
苦を愛に 愛により互尊の世界が得られる。

2022.3.18

今に生きる その自覚と責任が自立である
現実の中で自分の気(感情)にのまれず
正しき見方 正しき行いで
自分を敬い 自分を大切に 生きてゆくこと
神仏の教えはその為の自分の足元を照らしてくれる光である
生きるとは 自分への礼であり敬であり義である
それが人間としてのけじめであり道理というもの
気(感情)は 時として気が重く面倒くさいもの
気ではなく情(こころ)を心にしてゆく
生きるとはその為の修業場といえる。

2022.3.10

今を素直に見て 捉えて 動いてゆくだけでよい
その中にいろいろな「辛・苦・愛・楽」が見られる
すべては自分の気の捉え方であるが
心を通してみれば本当はなにもない
自分の気がただ変化しているだけ
そこに気がついた時
人は 心に安心をつくってゆける
己我無は修業 拝むは精進。

2022.3.4

心を大切に生きている人には 本来苦はない
だから心温かい人は 物事を苦と受け取らず
すべてがあたりまえと見られる
無は有に 有は無に通じるように
互いに精進し 精神を高めてゆく生き方で
この世を流れてゆこう
もともと苦はなく 苦と思える情を素直に認めること
それが「自知・即今・和」の教えの始まりといえる
日々 苦を楽にして よろこびにかえて生きればよい。

2022.2.25

人生には 晴れの日もあるが曇りや雨の日もある
人はその中で多くのことに出会い
喜怒哀楽の中で一つひとつ自分も育てられているのだ
ただし 気まかせに生きている人は
いつまでたっても自分と向き合うことはないだろう
この世に生まれた意味を自ら問いながら
自分(前世の人の心を)を大切に守ってあげるところに
自分としての生き方が身についてゆく。

2022.2.18

気を入れすぎず
気を抜きすぎず
時にそって 自分の役に徹し
身をもって道理を実行する
それが人として正常な姿。

この世は
すべて前向きに捉えていった方が 気が楽
どちらにしても
物事は 良いか悪いか 正しいか正しくないかの
根本から始まるだけだから。

2022.2.4

現実を正しく見る
そのことを学びに 人は生まれ 生きていく
生きるとは 現実にそって自分を知り活かすこと
ただそれだけ
良くも悪くも
すべては自分の向上のためにあるのだから。

菩薩達は 特別なことを学んでいるのではない
自らの欠点を身で知り 感情(気)を感性(心)にかえ
心から納得して物事にあたった方々であり
常に真実を求め 人と会い 物金と接した人達
日常の中で 真理に接し 心を学び行っている
ごくあたり前の人間の姿なのである。

2022.1.28

良いこと 正しいことをとまどうことなくやってゆこう
日々のあたり前の行として
良いことは 身も気もすっきりさせてくれる
正しいことをやってゆく中から
すっきりした自分が生まれてくる。

2022.1.21

ゆるゆると楽しんでゆきたい
そして常に感謝とよろこびの人でありたい。

笑顔のきれいな人 幸せの人
それも真からの笑顔の人は……。

本当のしあわせを感じ知るには
自分の中を見てあげることです
自分の迷い 悩みを 自分に聞いてあげるのです
それにより自分の本心と原因がわかってきたなら
神の真に照らし合わせ
正しい見方 正しい捉え方を学び
今の自分の中の思いと見比べるとよいでしょう
ただし「神との縁は素直から始まる」を心して。

2022.1.14

時は流れる 永遠の道程の中を
人は その時の中であてどなき旅をして
転生輪廻の中で生き続けてゆく
川の流れの中の木の葉のように
だからこそ
自分に「精進 精進」とよき声をかけてゆけ
これが幸せということか
これがごくらくということか
それが自分への勇気と感謝であろう。

2022.1.7

心やすまる時がどのくらいあるかで
その人の生き方が変わってゆく
心やすまるとは 物 金 名誉にとらわれず
今 自分が生きていることを実感し
心が青空のように澄み渡っている爽快な気分をいう
すべてが許されている心境 即ち無心ということ
無心とは 力むことなく 心身を時にゆだねてゆく感覚
今という時に心よせ 礼してゆくすがた
人間として自分なりに精一杯やり
あとは天にまかせればよい。

2021.12.28

この世は 生きている
この世は 動いている
この世は やるだけのことはあるところ
だから どんどん体で動き 感じ 学ばないともったいない
この世は なにひとつ無駄がなく
人・物・金を通じて感情を豊かにしてゆける
感性とは そうゆう心
あの世は ただただ自分を見つめ 見直すところ
自我 自己にこだわった人には苦しく
良き生き方をした人には 極楽なところ
たましいに死はなく 永遠の道を歩んでいる
だから なにも怖がらず
常に平穏に自分の道を歩んでゆけばいい。

2021.12.16

失敗は恥ではない
むしろ現実を身で知っただけは
有難い 得したと思うべし
ただし同じ過ちを三度すれば罪になる
まじめさがないということ
間尺に合わない人は ポイントがわからない
それだけ知恵もなく やる気のない 人任せな人
そう言われたくなければ 言われる前にまず動け
それが礼儀であり あたり前のこと
自分のことで相手に気を使わせてはいけない。

2021.12.10

舞台の上では 皆 俳優
どの役が欠けても その舞台は盛り上がらない
主役も脇役も すべて舞台にとっては大切な人。

物の見方をちょっと変えてみると
万華鏡のように変わって見える
だから生きることは いつも新鮮でマンネリはない
もし生きることに失望している者がいたら
本当の生きるよろこび 楽しみを知らない
気の満足だけを追う勝手な者というしかない。

2021.11.29

心に 神仏の英智を入れてはじめて
その人は 心をやすまる安定の世界に入る
それが華美(菩薩)の世界
つねに私心なく 調和を旨として日常を歩む
あとは やるべきことをやり 時にまかせ
今 負担をつくらないようにいくだけ
いつこの世を去ろうが いつも晴れの日のように
心清く 身を浄めてゆくだけのことだから。

2021.11.15

日々の中で 自分を知り
自身と共に成長してゆく。

命の尊さは ただ生きているだけの中にはない
大切なことは 生きている間に
どのくらい現実に対して真剣に取り組んだかということ
好き嫌いだけでは その尊さを見失い
自分の中に余分な汚れをつくり 本来の生き方を曲げてしまう
永遠の道を生きるとは
能率よく時を活かし 人・物・金と調和してゆくこと
即ち 合理である。

2021.11.8

やるべきことに 気迷わず
今正しきことを 正しく行い 清い心で日々を送る
そのことに神経を使ってゆけば おのずと道は開け
気 心 共に健やかな日々を受け入れることが出来る
体の変調も 正しきことに素直になれないとまどいの気を
天が示して下さっているもの
自分自身を どっしりすれば すべて治まる
所詮この世は 気との戦いであり
気との語らいにより 己を見てゆくもの。

2021.10.29

疲れた時は 寝ればいい
疲れた時は 気を抜けばいい
疲れた時こそ 素直に自分を見つめればいい
疲れも自分にとっては 自知につながるのだから
「無理するな ずるするな 精一杯の心があれば」
でゆけばいい
所詮 この世は
動き 働き 自分を成長させる所だから。

2021.10.15

人は 本来の自分に戻れと言われても
今の自分の心が 本来の自分なのかわからないもの
本心と称して 本来の自分のあり方とは違う
自我にこだわったことに力を入れているかもしれません
あくまで本心とは 正しきことに同意できる素直さなのですから
本当の自分のあり方を考え 今正しき行いをしている限り
人は 心おだやかに歩んでいけるでしょう
本心と正しきことがペアでいるかぎり
その人は心置きなく 前向きに進んでゆくでしょう。

2021.10.7

自分がゆったりした気分になると
神経や心の病は消える
すべては気の動きにより 神経の病を呼ぶもの
ベッドの中の人は
人に任せる素直な心と感謝の心を忘れなければ
病もまた 人との輪の学びである
人は 常に人との貸し借りがないようにしてゆく
まじめさと謙虚さが必要。

2021.9.27

心は天にそい 人間として真(合理)を知る
真は つねに永遠に変わりなく流れてゆく
これが人間の歩む一本の道なり。

人は 神仏の言われることを
受け入れる人になればいい
それが素直であり合理である。

人は皆 そうやって
一つひとつ自分の身で含味して
大きくなってゆく。

2021.9.14

人は苦から逃れようとして 自ら苦をつくる
この世に生まれたということは
それまでの自分を懺悔 整理し向上するためであり
過去に自分の蒔いた種を刈り取り
新しい自分と出会うためなのです
そのために この世に生を受けたのだから
苦があってあたりまえと思い
もう少し素直に もう少し勇気をもって
日々を過ごされたら如何でしょうか
神は 見ていられる だから 安心。

2021.9.6

人生 なにごとも感謝の心でゆけばよい
感謝の心には邪気はないから
たとえ小さなことでも
「あゝそうか ありがたい」と思える人になればよい
生きてゆくということは
多くの人や物事に お世話になってゆくのだから
家族にも 社会にも この世のすべてに。

2021.8.30

コツコツと 地道に たゆまず歩むのが人生
コツコツと やる気があるかないかで
人生は自分で決めてゆくもの
決して人のせいには出来ない
だから性根をもって ゆっくり自分を育ててゆけばいい
すべてこの世は 因果応報の神の中だから。

2021.8.20

人は 自分から不行をつくらなければ不幸はない
物事を正しく平等に見られないその人の気が
不行をつくり出しているだけ 冷静になれば納得する
この世は神に計られている
神とは 公平平等であり 偏らない調和そのもの
自然の摂理は厳しく
何事も 何人もその中で整理されてゆくもの
自然の中の動物を見ればその意味が分かるはず
人間だけが特別ではない
だが 人間は一人では生きていけない生きもの
だからこそ 守るべきルールがある。

2021.8.12

旅に出なさい
過去のない自分になれるから
旅に出なさい
心温かな人になれるから
旅に出なさい
誰とも親しくお話しできる人になれるから
旅は 知らずに良い顔をつくる。

2021.8.2

種を蒔かなければ
芽も出ず 花も咲かず 実もならない
それが現実
だから 今そして明日に向かって(天に向かって)
良い種を蒔いてゆく
それが自尊への道
ともあれ 今正しいことに心よせ 動けということ
ただし
自分の身巾に 無理するな 無駄するな
それが自分へのプレゼント。

2021.7.16

神を知る 即ち真理を知るということは
まず人間としてのルールを学ぶことである
真理は すべて現実の中にあり 公平であり 情はない
仏は その情なき愛(自然の摂理)を人間に合わせ
心と肉体の持つ感情が折り合ってゆく在り方を
智恵として伝えてくれている
私たち未熟なものにとっては大変有難い方々である
天理は 即ち 自然の中から
仏の知恵と自らの精進 努力により歩む中にある。

2021.7.9

老いるとは
人生の中で一番充実した時であり 美しい姿
いろんなことを経験し 学び
やわらかく 厳しく やさしい心を得た証として。

迷いがあるから悩みになる
悩みがあるから苦が生じる
どちらにしても 今 私心(思い 願い 我欲)をよこに置き
正しいことに気をよせてゆけば
悩みも苦も泡のように消える。

2021.7.1

「生きるよろこび」
鳥の鳴き声により目覚め 朝日を拝み
生きていることを感謝する
そして「今日一日 粗相なくゆかせて頂きます」と誓い
夜寝る時に
「今日一日無事に過ぎました ありがとうございました」
と感謝する
そのくり返しが一番仕合せな生き方
決して苦がないわけでもない 決して楽なわけでもない
どのくらい尊い時を大切に受けているか
どのくらい尊い時を大切に扱っているかだけのこと
人間としてこの世で生きてゆくには
それが当たり前の姿なのだから。

2021.6.21

常に 身一つの心が幸せ
今 生きていければいいという身軽さが幸せ
心が豊かであれば すべて活かすことが出来るから。

人は
良いものに感動し見習ってゆけばいい
すればいつの間にか自分の身につくもの
そうやって一つひとつ自分を作るといい。

己我無心で 時をいただき
己我無心で 物に接してゆけばいい
それが出来るまでこの世が必要。

2021.6.11

生きるとは
今自分のやるべきことをやってゆくこと
そのやるべきことに気がいくように自覚すること
それが勇気であり 続けることが努力である
それ以外に自分を守るすべはない。

日々を大切に動くところに
六根清浄となる
それが自尊の道
それ以外に道はない。

2021.6.7

神仏の教えを学ぶとは
自分の身と気を整えることである
自分の身と気が整えば
すべてを前向きに受け 自他の安全をはかり
邪 悪と戦う勇気を得ることにつながる
それが自分への礼であり
今世 生きた証をつくることになる
白神様の説かれる「日々新た」とは
つねに前向きに 自分づくりに勤しめということ。

2021.5.28

生きるとは
まず自分自身を守ってあげる思いやりが必要
病 死を恐れず 今を充実して生きてゆけば
余分な思いも悩みもなくゆけるもの。

人間 やることがあるから うれしいし楽しい
やることは すべて知恵になり 自分の身になる
ありがたい経験といえる だから失敗はない
人間は 失敗により本物にめぐり合うことができる
失敗は 真に近づく過程であるから…。

2021.5.21

悩みや苦しみがある時こそ
神仏の智恵を頂き 自身の気を横において
がむしゃら(我無捨ら)に働いてゆけばよい
所詮 気が安定していないだけだから…
神仏の教えを頂くとは 自分への律し方を学ぶこと
そして気を安定させ この世に生まれた意味に近づき
学び 動いてゆく自分を育てること
大切なことは 自分から動こうとする心 。

2021.5.14

どの仕事も 仕事があるということは有り難いこと
そのおかげで食を頂けるから 人間食べてゆければ結構
そして心豊かになれば すべてがたのしい
物事のけじめを知り 人と出会い 自分を知るから。

人は 懺悔 反省の行いのたびに
身 らくになり 心 明るくなる
懺悔は 相手への敬いにかわる。

2021.5.7

本当の美しさは
どこから見てもスキがなく
シャンとして凛としているもの
本当に美しいものは
人間も物もすべて真理にそっている

物事をすきなく出来るように心がけてはじめて
人に対しても 自分に対してもおだやかな心が芽生える
おだやかさは心が丸いときあるもの。

2021.4.28

人間は なにが良くて なにが悪いかわからないもの
それを知るために 常に意識して自分の行動を見てゆくこと
それを律するという
良い悪いの見分け方は 理(ことわり)なくしてない
理は 調和そのものであり 公平 平等そのものだから。

生きるということは 英智を学び勇気を持つこと
勇気をもって良きことやってはじめて
生きることへの礼と自分に対しての敬ができる。

2021.4.20

たとえ身体が不自由であっても 心はいつも自由です
心は 形にとらわれず
いつも自分の思うままに動けるのですから
なにも苦しむことも悩むことありません
今 自分が前向きに人と合わせるようにすれば……
それには 自分の中の自分を見て語り合うことです
必ず言葉が返ってきますから
それが本当のあなたということです
神さまは いつも見守って下さっていますから。

2021.4.8

生きるとは 六根清浄である
六根清浄とは 業(カルマ)との戦い
己に勝つとはそのことである。

五体満足に生きている人よりも
障害や病を持った人の方が
今生きていること また生かされていることへの
ありがたさを身で知っているもの
健康だからこそ 余分な慾が出る
人はどこまでいってもこれでいいという際限がない。

2021.3.26

花は 天と地のおかげにより咲いている
どの花も凛として色鮮やかに美しい
動物は 弱肉強食の世界で生きているが
余分なことはしないけじめをもっている
人だけが願いや慾という感情を持ち
けじめなく自己自我に固執して生きている
人が動物のようにけじめを持ち
花のように凛として生きてゆくには
自らを戒め 己を律してゆくしかない
人生にとってそれが課題でありやりがいでもある。

2021.3.15

人間として生まれ 人間として育ち
神仏の心を知り 精進の道を歩む
それが人間としてごく当たり前の姿
日常を 無駄なく 無理なく 精一杯の心で歩み
時を活かし 時と一体になり 時を消化し
自分でもなく 人でもなく
今必要とする役の中に自分を投じる
それが人間という肉体を持った者の本来の姿
それが「合理」ということ
その姿こそ人間としての美しさと思う
若さには若さの美しさがあり 老いては老いの美しさがある
人間は今汚れをつくらなければ みな美しいのである。

2021.3.5

今を生きて 動けることが仕合せ
動きにより 自分と共にこの世の時を味わい
そのよろこびを肌で感じてゆきましょう
時代の波に乗りながら
すべてに楽しく うれしく 良かったと
感謝してゆける自分になりましょう
この世は 本来楽しむところだから
勇気は すべての難を自ら砕き 浄め 整える
そのことを自覚し 一つひとつ身で味わってゆきましょう。

2021.2.26

人は皆 平等公平の中に生きている
ただし個々の特徴は
それまでの因縁によって育まれたもの
その因縁をしっかり知って
自尊自立(自律)の心で
尊い日々を活かし 感じて 味わい
自らの中に入れてゆきなさい
自らを知り 自らを敬い尊ぶところに
汚れ 苦は浄められてゆくものだから。

2021.2.15

一方的ではなく 自他共の安全を図るには
真にそった英智しかない
その英智をもとに日々実践してゆくことが
自身の安泰の生き方 大往生の生き方と思う
人に甘えず 人に感謝してゆこう
常に話し合い
「ごめんなさい」「ありがとう」
「すみません」「お願いします」
この言葉を心から言える 明るい素直な人でゆこう。

2021.2.3

自尊とは
自己を知り 自己の汚れ 醜さを取り払い
自らを愛おしく思えること
あたり前のことに素直にそって
自分を慈しみ育てる覚悟を持つこと
自分を悪い人にせぬよう 今という時と役に徹し
自分のことを自分で守ってあげること
その心を一人一人が持てば
神仏との縁を求めなくとも 神仏が下さり
この世は 助け合いの和やかな世界に変われる。

2021.1.22

神は 自然の理そのもの
人間の考える善い悪いではなく
理に照らしその人をつねに見ている
仏は 人間の心に光を与えてくれている
人間が神の示す理にそっていけるようにと
仏は 神の心をいただきこの世を卒業された方
仏の心には 慈悲 慈愛があふれている
その人がよくなるようにと
その人に合うように語ってくれている
人は素直にその言葉をいただき
まず自分を整えることだ
神は たとえ小さなことでも 小さく捉えず
その中から その人の誠意とまごころを見ていられる。

2021.1.15

人は 今ということに責任を持ってゆけばよい
今という時の中に
過去のひずみ 歪みを調整するチャンスがあるのだから
あとは この世で物事を通じ 楽しみ
人の心を見て学んでゆけばよい
それには まず肉体が持つ感情「気」を整理することです
人は 自己へのこだわり 屈辱 悲しみがそのつど尾を引いて
無条件に今にそってゆけないようですから
皆が今という役に責任を持ってゆけば
この世は素晴らしい調和ができるはず
決して人のせいにしないから
その時の失敗は 人はお互いに許し 助け合ってくれる
失敗した人には知恵を 助けた人には徳を
お互いがよいように 神は計ってくれているから…。

2021.1.4

生きるとは
心の泉(神仏の英智)を求めていくこと
心の泉は 常に新鮮で 清く
人との交わりの中から 自分を成長させてくれる
それが心の泉である
永遠に枯れることを知らない泉である。

人生を素朴に生きられたら最高
素朴とは
自己自我にとらわれず つくらず
自然を生かしてゆく 心の豊かさ。

2020.12.14

この大切な一時を
誰の為でもない
自分の為に精一杯生きよう。

この世の善悪は
すべて自分の素直な心でわかる。

「分相応」は自分自身の中にあり
誰のものでもない
「分相応」は自尊に通ずる

2020.12.8

常に真実に出会ってゆこうと思う
時の中には
真実に出会える問題集がいっぱい詰まっているから
時の中で 人と交わり 自分を知り 自分を育て
時の中で 自分の役を確認し 自分を活かしてゆこう
自分らしく 天と時と自分の役の中で…
それ以外は 余分な苦労と無理なこと
人は皆 公平に生きてゆく仲間なのだから。

2020.11.30

生きるとは 今感じ動くことである それが「即今」
「即今」とは
今の自分の役に忠実に 物事の必要性に合わせ行動すること
なりゆきに動くだけでは「即今」とはいえない
「即今」は天にも地にも自分にも通じるもの
人は「即今」「即今」と今のみに心をよせ 身に入れてゆけばよい
それが性根を育て たましいに新しい感覚の智恵を入れてゆく
ともあれ 「真」により身を整えよ。

2020.11.13

人は 問題がある度に大きく新しく自分を切りかえてゆける
但し その問題に対して
恩情(感謝) 温情(いたわり) 愛情(厳しさ)で解決してゆけば…
その問題の本質と関係なく 人情 強情 同情だけで見て動く時は
かえって本筋から遠のき 空回りしてゆくことになる
こういう時こそおびえず 今迄の自分を振り返り
自分自身の本心を見て 過去にとらわれず 先のことを心配せず
素直に今のみに心よせる勇気を持ち努力することです
すれば身軽で気軽な 自分づくりに挑戦してゆく人になり
今はもちろん 永遠の道を歩んでゆくことになる
生きても死んでも関係ない本体の自分と仲良く
人とも心より話し合える人になれるでしょう。

2020.11.4

生きるって こんなに楽しいもの!
すべてが新しい出会いであり
すべてが冒険であり
のんびりしているのがもったいない
のんびりは 寝ている時だけで十分幸せ
生きている限り 新しい智恵にめぐり合う
それが 前世の人 今世の自分への感謝であり礼である。

2020.10.28

たましいは消えない
肉体は たましいの浄化また向上のため
その時々に必要として頂いているだけ
そのことをしっかり自覚して
身軽く 気軽く 本来のたましいの役に素直に帰り
神仏 賢者の智恵を頂き
その無駄ない無理ない生き方を学び
今生きることに張り合いを持ってゆけばよい
〝生きる〟とはそういうこと
自分の気をおびえから切り離してあげること
それを素直という。

2020.10.15

人間は 永遠に続く一本の道を歩んでいる
その道の先は 神の調和すなわち極美の世界
なのに人間は 肉体を持つと自己自我が芽生え
本来単純なことさえ複雑に捉え 空回りして
素直な生き方が出来ない
感情とはなかなか厄介なもの
白神さまが示された「合理」は
人間の持つおびえが慾を呼ぶ特徴を消化するための言葉
神の真に向かって
早く本来の人間になりなさいと励まして下さっている
あとは 我々人間が日常生活の中でお互いに助け合い
争いなき平和でおだやかな世界を築けるよう
人間としての誇りを持つべきである。

2020.10.12

身惜しみ 気惜しみは 人間として一番損な生き方
身惜しみ 気惜しみは この世に生まれた意味を知らない人
また知っていても それに対して自分を守ってあげられない
誠意なき 心を知らない者の生き方
せっかく神仏の智恵をいただきながら
身惜しみ 気惜しみの慾にのまれている者には
不幸が来てもあたりまえ
それが神の愛であり 仏の慈悲の祈りというもの
人間がみな正しき生き方に心よせれば
神仏は わざわざ我々に通信なさらないと思う。

2020.10.1

人は 真面目にコツコツとやっていけば
物事は 必ずいいように流れていく
流れは 真面目さと誠意により生まれる
それ以外にない。

物事を行うにあたって
一人より二人の方がよい
二人より三人の方がよい
そしてお互いのよさを出し
よき調和の道を学ぶとなおよい。

2020.9.17

人間は
自分を律するところに 自分を安定させることができる
そして自分の為に生きる道を見つけ 心安らかになる
そこには天から与えられた 時があり
死ねば時などない世界
時があるから 生きていると実感してゆける
時の中には 心の財がいっぱいかくれている
まるで宝石さがしのように
私は時を大切に扱い 時の中の自分の役に律してゆくだろう
もう大丈夫 すべて時のみに私を織り込んでゆくから
私という宝石を―――。

2020.9.11

まごころは
すべてを和ます
まごころは
今正しいことをやっていればいいのである
人の顔色を見るのでなく
今なにが大切で必要かを考え
我心なく 体当たりしてゆく
それがまごころ
まごころは すべてを明るく公平に見る
決して偏った情ではない。

2020.9.4

神仏は 過去を戒めないかわりに今を見る
そのところを心して
今 今 今と 今を活かすことに心を向けてゆく
それを仕合せという
仕合せを行っている時は
とまどったり 迷ったり 苦しんだりするものだ
ただし悩みはない それは前向きだからだ
悩みは自己主張の時 起きるものだから
仕合せが身につき 不安もおびえもなくなり
あたり前に動作が出来た時 はじめて天から幸せを頂く
これが天則である。

2020.8.28

物を活かすことが感謝である
物をいたわることが感謝である
人と円滑にゆくよう気を配ることが感謝である
それが自分の身の掃除であり整頓である
その心が今自分の中に芽生えた時
人は人間として成長してゆく
人・物・金に対して活かす心 敬う心があり
自分の生き方に責任をもって人をあてにせず
自分の特徴 取り柄を自然に生活の中に出して
人との和を重んじ 自ら先に立って人生を楽しんでゆく
それが本来の人間の生き方。

2020.8.20

信行とは(修業)
なんでもよくとれる自分をつくること
心行とは(修業)
なんでも心から行動できる
素直な計算のないそして貸し借りのない人になること
真行とは(精進)
今正しきことを心から行う人になること

2020.8.07

常に正しき生き方を心に置き そしてその正しきことを
自分の身で一つひとつ感じてゆく勇気があれば
たとえ失敗したとしても それは失敗ではなく
むしろ現実を肌で感じ知ったという得難い経験であり
たましいの中に智恵として永遠に記憶されてゆくのです
生きるということは
力を入れすぎず 力を抜きすぎず 今という時を大切にいただき
物事を正しく見て 正しく聞いて 正しく捉えてゆく
その積み重ねの中で
美しいものと出会い 心はずましてゆくものです
美しい出会いには 物金に恵まれなくても
今ある中で楽しむことができるのです
物を生かす温かさと感謝があれば
それがやさしさに変わってくるのです
やさしさは 人・物・金を生かし使いこなす
「礼と敬」から始まるのですから…。

2020.7.30

物事は その時々に合わせ
コツコツと慎重にあたってゆけばそつはない
それが時に合わせ 時を活かすことにつながる
その時に合ったことだけに神経を使ってゆけば
必ず 時を活かし 流れをつくるもの
たとえすぐに答えが出なくても
いずれ芽が出る種を育んでいるのだから。

良いものは良いと言える人になるといい
それが素直であり
現実にそっている自分ということだから。

2020.7.17

人間は日々の中で
自分の適性を知り 物事の適格性をみつけ
充実した生活を営む
それが仕合せという。

人は 頑張ってばかりでは自分が疲れる
それよりも 人に素直にお願いできる人になれば
身軽になれる
ただし相手を利用しようとする心はいけない
お願いは いつか返そうと思う 礼と敬の心。

2020.7.9

教えは
自ら日々の生活を楽しく行おうとする人の中にある
教えは
天にそって人との輪を求めてゆく温かさ やさしさのある人に
勇気と智恵を与えてくれるもの
「ありがとう」「すみません」「ごめんなさい」「おねがいします」
この四つの言葉を心から言えた時
もうその人は神仏の世界の心の人である
あとは天にまかせ 悪い種を蒔かないように自重し たしかめて
日常を楽しく 自分の取り柄を出し 人と仲良く助け合い
円滑な生活を営む努力をする
その姿に神仏は微笑み 見つめてくれるだろう
神仏の縁は まごころとやる気しかないから――。

2020.7.3

生きることにワクワクしてきた
自己自我を横に置き 自分を空にして
物事を素直に見 行ってゆくと
すべてが新鮮に感じられ ありがたい
時をいかすとは 時を知り 時を消化してゆくこと
これは決しておごるでなく
今と自分との織物の一部を知り
智恵を頂いたことへの感謝のこころ
そしてそれが観音様の言われた
「自分は時によって育てられている」ということだろう。

2020.6.26

日々の経験を通じて学んだことを
着実に自分の知恵にしてゆく
その積み重ねが生きるということ
その知恵により 人は物金を生かすことができる
ただし物金はこの世だけのもの
あの世では必要ない
あの世では この世での物金に対する思いが残るだけ
だから良い思いの為に 物金を生かすことを学ぶことです。

2020.6.19

たましいは 新しい経験と出会いを求めている
それは 美しい人になる為に生まれているという心でいるから
たましいは すべては前向きなはずなのに
肉体をいただき自己自我を持ち始めると
つい自分勝手になり 醜い汚れた己を出してくる
本当に悲しいものだ
常に意識を自分に向け
自分に対してのやさしさ 思いやりを持つことである
人と競うのではなく 自分の中の己と戦い
常に素直な 正しい見方 捉え方を
自分の中に求めてゆくといいと思う
それを謙虚 実直 まじめという。

2020.6.4

美しい顔は
美しい心から備わるもの
綺麗と美しいは違う
心丸く 素直で 清純な時に
人は 美しい顔になり
時を尊び 時を敬い行う時
人は 美しい心になる。

2020.5.27

人は 現実に対して自分の好き嫌いを横に置けたら
それは空のはじまり
人間は現実に対して素直に消化してゆくところに
無の感覚に近づいてゆく
空の時は 意識があり
無の時は 自然にそって無意識なり。

人は理屈を言わず 六根清浄の心でゆくがよい
それが 己我無(拝む)心に近づく 又近づきやすい
六根清浄とは 現実の今(時)に 与えられた役に
全身を体当たりしてゆく心。

2020.5.14

たましいに品格のある人は
つねに真実への追求の心 姿が見られる
自然と一体になることをよろこびとし
物の価値をいかし 自然に対して感謝の心をもつ
だからつねに心が新鮮で 物金への執着はなく
無への挑戦をしてゆく
そのような心を持った人はめったにいない
色気や見栄もなく 人を意識せず 自己主張もしない
その人の心は天にそって どこか空気のような人
それだけ純粋で無邪気な人といえる
肉体は老いても 心はつねに青春のような人
いつまでも心若く明るく
死ぬまで自然(真理)を追究してゆく無心の人
心は天使のような人。

2020.5.8

心(たましい)が凛としていると
気はシャンとしているもの
凛とは 厳しさの中にやさしさがあり
正しく行動できる品性が備わっていること
シャンとは 姿勢を正し 物事を正しくおさめる姿
いくら頭でわかっていても
気が正しく動けないと凛とした心にはなれない。

2020.4.27

常に物事を気(感情)でなく
心で聞けるように
心で見られるように
心で捉えられるようになると
すべての煩悩から解除される
気は ただ余分な苦浪(苦労) を生むだけのもの
人はそのところを感じないと いくら口で言っても
自分の心(たましい)に届かないものと知るとよい。

2020.4.17

あたり前に不足を言わず物事が出来た時
人は 人間としての資格を持つ
ああだ こうだと自分にとらわれている間は
まだ人間になってはいない
淡々と物事を捉え 今を活かすのみに気をむけてゆく
またそれを生きがいとして日々を送る
それが 自尊そのものの生き方と言える
人は 自分の汚れ欠点を一皮一皮浄化し人間になってゆく
そして人間になってから本当の尊い生き方が始まる。

2020.4.7

病は
自分を整える為の神様からの啓示であり警告である
病により自分を見直し整える
整えるとは それぞれの人が生まれた意味にもどること
本来の自分の気質を見直し
今の有り方を通じて 正常な自分にしてゆくこと
正常とは 理にかなった生き方をいう
それを自知という。

手当は
今の自分を素直に振り返り
反省と誓いの繰り返しで 正常な自分に整えてゆく
また 体に合った手当てをして補ってあげる思いやりも必要
ともあれ 自分の体は 自分でやさしく見てあげること
やるべきことをやり あとは神様の真に身を合わせる
その素直さがあるか 即ち 自尊の姿になるかどうかである。

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