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マイ・フレンド2024 NO.85

『マイ・フレンドNO.85』
<目次>

蓮華のひとりごと
蓮華先生が残された言葉
教えの言葉

 何のために生きているのか その2 レオ先生
 物質界に対しての消化の仕方
 正しい人間とはどこでいえるか
 「心の世界」を知って楽になった
 ただし、自分を犠牲にするのではない
 僕の全部をあげてる

 如来、神とは

これまでの各地の勉強会から

・蓮華先生のお話

自生会だよりを振り返って

ザ・ペパーミントのページ

・山の蕎麦
・地震に対する10の備え
・ペパーミントインタビュー

読者のページ

・教えと私
・蓮華先生と私
・能登半島地震のつめあと

『聖ある生き方』を読みましょう

編集後記

蓮華先生が残された言葉より

ていねいに生きる。
それが私の今の願いであり、よろこびです。
すべてに感謝と、今まで自分自身に気を向けなかった分の懺悔とお詫びで、
これからは、本当の私の心の有り方で過ごしてゆこうと思う。
つねにさわやかで明るく快い家の中で、ゆっくり、ゆったり時をたのしんでゆきたいと思う。
工夫工面により、一つ一つていねいに大切に扱い、美をつくってゆくよろこびを味わってゆこうと思う。すっきりさわやかな本来の私の気持ちをあらわしてゆきたい。

 

教えの言葉
何のために生きているのか その2 レオ先生より

 三分の一は魔性(の人がこの世に降りている)。生まれながらに、もう魔に心を委ねてる人間が降りている。言葉でいうと、悪玉が降りているわけだ…
三分の一は善玉で、三分の一は悪玉で、悪と善があるから迷う人がいるわけ。
これが全部悪けりゃ迷わなくてもいいわけ…
だから魔性なら魔性の世界に一致していけば、悩みがなくなるわけ。右ならえでいけばいい。
もう地獄。完全に地獄だけども、かえって意志の弱い人間からいえば極楽。僕から見れば。
命令されて動いていればいいから。自分の知恵はいらんのだから、魔性は。支配するものにそっていけばいいんだから…
僕からいうと、やはり花と一緒で、何もお金出して高い花ばっかりが良い花じゃない。
世の中みんな対等に生まれているんだから。野菊だって、そこらに咲いてる雑草だって、みんなきれい。価値観は一緒。ただ評価からいえば、お役に立っている花か、お役に立たない花かだけじゃないか。僕はそう思っている。

 

 例えば、働く。金をくれる。よく、この人達にもいうんだけど、高い給料取りはみんないいっていう。けれどその金をもらうだけ働いているか。
 一生懸命働いてても、ボーナスの時期になると差があると。普通のところなら少ない。けれど名前のあるところはだいぶもらうと。不平等だと、僕にいう。僕は不平等じゃないっていう。どうしてか。確かに金が多ければいいけれども、真面目にやってて給料が少ないという時は、それだけお陰という陰の陰徳を積んでるから。
 例えば、四分の三働いて、四分の一はタダ儲けしてたら、徳が減り、プラス障り(さわり)をいただく。そういうのが消化の勉強っていうこと…

 だから物と金があって、人を生かすことになる。それを一個一個解明していくのがこの世の勉強だと僕はいうわけ…
 正しい人間っていうのはどこでいうか。
一番簡単。今その人が、私は正しいですよといっても、今の立場で、今の家の中で、また社会の中で、その人の立場をちゃんとまともに、真面目にやっている人は正しい。責任もって消化している人は。けれど口だけで、真面目にやっていない人が一杯いる、この世の中は。

 人のために尽くすということは、ただし自分を犠牲にしたらいかんよと。自分を尊びながら、人のためになりな、っていうわけ。この世の中は、自分を犠牲にして人のためにやるから駄目。自分も尊び、人も尊ぶ姿が「合理」というわけ…
 僕がいおうとしてるのは、「天知る、地知る、己知る」って昔からいうね。自分が犠牲になったということは、自分は心地良いわけだ。要するに満足感。人のことをやらせていただいた。けれど神が承知しない。神というのは常に冷静に見られている。自分が知らなくても上で見ていてくれる。人間としてあの人はいい人だといわれても、神がパスっていわないと、徳にならない…

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