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蓮華のひとりごと
教えの言葉 「泥沼と天の雲」―蓮華先生・真は気を乗り越えた時に知る
・全部良かったんです
・菩薩は雲
・真とは何か
・全て新鮮、日々新たに
・結婚の形
・悲しいではなく、どうやればいいんだろう
・親しき仲にも礼儀あり
・子の性質を見ず自己満足の育て方は無責任
・子に与えるのは躾、お金をやるよりお稽古を
・人間はあわれ、自分を見ようとしない
これまでの各地の勉強会から 観音様のお話
自生会だよりを振り返って
ザ・ペパーミントのページ
読者のページ 教え 心に残るお伺いの言葉 教えと私
『聖ある生き方』を読みましょう 編集後記
蓮華のひとりごと より
神と共に生きるとは
時と共に生きてゆくということ
その尊い時を
人・物・金を通して 無駄なく無理なく活かし 消化してゆく
それが貸し借りのない無への挑戦であり 出会いと思う
なにも完成しなくてもいいのです 完成への道を歩んでいれば
たましいは 永遠に神の世界の中で生死を繰り返しているのだから
この世は 人にとって復習の場所であり
やり直しの場所であり 智恵の宝庫でもある
ある者は 苦しみの中から智慧を知り 自分のものにしてゆき
ある者は 強情 勝気の気のままに余分な苦を自ら作り 自業自得の中で生き
ある者は 人の良いところを感謝していただき 自分の視野を広めていく
ある者は 黙々と自分と向き合い 精進してゆく
すべては 人のせいにも 神のせいにもできない
神は情ではなく 理そのものだから
今 自分の姿を鏡に映してくれているだけ
蓮華先生についてー白神様より
真とは何か―
みんな、自分はいい人だと思っているかもしれませんが、神から見るいい人とはどういうことか。真をやっている人なんですよ。真とは何か。円形の中心なんですね。中心とは何か。自他のないあり方。これはあなたの、これは私の、といって、そこに壁を作らない。今必要なことに対して行動できる無条件さが、真に対してのあり方だと思います。無条件ということですね…
人間は無条件にはなれないんです。肉体を持っているからです。肉体自体が完全な計算なんですね。損だ得だと、その時の損得勘定の計算。これが悲しいかな、泥沼の生き方です…計算というのは、100円の物を値切ろうとする。それで自分が売る時は、100円の物を高く売ろうとする。
人間はあわれなもの―
人間というのはあわれなもので、とレオ先生がおっしゃる
何があわれかっていうとね、全然自分を見ないよと。
だから白神様が「自知」ということをいっているんだよ…
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