- <目次>
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蓮華のひとりごと
教えの言葉 「蓮華教=白神様の教えを自分の責任で」
―蓮華先生(後半⑵)
これまでの各地の勉強会から 恩師様のお話
自生会だよりを振り返って
ザ・ペパーミントのページ
読者のページ 蓮華先生と私 心に残るお伺いの言葉 教えと私
『聖ある生き方』を読みましょう
編集後記
教えの言葉 より
品のある人ほど、言葉をだいぶ知ってます。温かいから。温かい人程言葉を知ってます。どうしてかというと、励ましてあげたり、労(いた)わってあげたりできます。わぁ、よくやったね。物を見て、おいしそうだねって先にいいます。だけど、汚(きたな)い人、汚れ人は、誰やったの、このまずそうなの、とかね。私がやれば美味しいのに、とかね。そうやって常に自分を中心にこうスポットライトを当ててもらいたいというのが「汚れ人」ですね。感謝がない。
だから品性の大きい人は温かい人。すなわち感謝が、労わり、励ます。そしてなお自分のやることはやりますから、謙虚。この三つが必ずそこについてます。
要するにこれは適確に物事を見なきゃいけない。適確性の勉強をする。だから品性のある方は適確性があるということです。品性があるってことは、適確性も伴っていかないと。そして良い悪いということを教えてあげて、それからですね、大きい人は、労わってやったり、励ましてやったり、いろいろと言葉を一杯使って、その人にやらせてあげようと…。
これまでの各地の勉強会から 恩師様のお話 より
僕が生前に言ったことは「まず、人間らしく生きよ」ということ。人間らしく生きるということは、「人に迷惑を掛けるな」、そして「自分の口は自分で作れ」、「人に迷惑を掛けるのではない」ということ。
たとえ子供だとしても、親に気を遣えば、これが飯をいただくことになる。稼いでいないんだから。子供に働いて金を持ってこいというような、無理なことをいってはいけない。
子供は子供なりに肩をたたくこともできる。これは親孝行。そういう風にお互いに感謝するところに和合ができる。
結局は、人間は人間でなくてはいけない。また人間でなくてはいけないというもとは何かというと、やはり神というものを尊ぶこと。人間というのは、ただ沿っていくだけのもの。人間というのはただ自然に沿っていけばいい。雨が降ったら雨に沿って君たちは行動している。天気が良ければ、天気が良いように行動している。このように自然に体を合わせていけばよい。
金が欲しかったら、働けばよい。それも体ぎりぎりに働いてから不足をいうならいいが、ぎりぎりに働く以前の不足はただの不足。愚痴とか不足を言う人間は、身惜しみをしているだけ。本当に精一杯やっている人は、身惜しみも愚痴も何も言わない。ただ「そうか」と無口になる…
…言葉一つひとつが、自分の心を相手に伝えるための大切な道具だから、大切に言葉をつかわなければいけない。きれいな言葉を言えばいいのではない。真(心)から叫べ。真から相手に言う。真から言う言葉が、人と和やかにいく言葉であり、人の心を洗う言葉だということを忘れてはいけない。
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