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蓮華のひとりごと
教えの言葉 「蓮華教=白神様の教えを自分の責任で」
―蓮華先生(後半⑴)
これまでの各地の勉強会から レオ先生のお話
自生会だよりを振り返って
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『聖ある生き方』を読みましょう
編集後記
教えの言葉 より
「人間」と「人」と「汚れ人」
「人」というのはどういうことかというと、責任をやっている。「心」までいきませんが、会社でも家の中でも、親なら親(という役の責任)をやっている人が「人」です。責任をやっているから「人間」だと思ったら大間違いだからね。心なくても責任をやってれば人に迷惑をかけないから、「人」という位にいきます…
「汚れ人」というのはどういうことかといいますと、人をあてにしてる。もらうことが当たり前だという人。感謝のない人。時間を尊ばない人。要するに生きた喜びのない人。
責任あればね、まだやることが一杯ありますから、やりながら、生きたっていう感覚がまだそこにある。あっこうやればいいんだって、だんだん知恵が体の中についてきますね…
「汚れ人」というのは、人に迷惑をかけたり、もらうのが当たり前で、人を上手くこき使ったり、人に気を遣わせる人。自分のほうから言葉をかけれない人。欲張り。…いろいろの汚れがありますね。
「人間」というのは、ここに初めて、自分のことももちろんやりますが、なお人、相手のことを思えるようになる。相手というものを心において、やってあげようかなとか、こうやれば喜ぶんじゃないかなといって、相手を敬う。好きとかじゃなく相手を敬うために手をかける。要するに、身惜しみ気惜しみのない人。…
これまでの各地の勉強会から レオ先生のお話 より(結婚について)
結婚というのは、簡単にいえば自分の欠点を出させてもらうチャンスなんだ。相手から逃げられないからね。結婚というのは相手に腹を見せる。そうするとお互いに裸になれる。親友みたいなもんだね。嫌いでも好きでも一緒にいれば親友になる。だから自分の欠点を出させてくれる、相手によって。自分の良さも出させてくれる、結婚によって。…
常に人にあげる心を持っていれば、また自分のことをやれる人だったら結婚は必要ない。学ぶことが、今世、結婚によって足を引っ張られるのなら、もっと自由に大勢の人と会った方がいい。いい奥さん、いい旦那さんならいいけどね。大体夫婦というのは束縛したくなる。そんなのは煩わしいから、結婚しないで友達としていったほうがいいという人もある。だけど普通の人間は結婚して大きくなった方がいい…
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