- <目次>
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蓮華のひとりごと
教えの言葉 「蓮華教=白神様の教えを自分の責任で」―蓮華先生(前半)
これまでの各地の勉強会から レオ先生のお話
ダルマさんの言葉
自生会だよりを振り返って
ザ・ペパーミントのページ
読者のページ
蓮華先生と私 他
『聖ある生き方』を読みましょう
編集後記
蓮華先生のひとりごと より
「生きる」
生きているということを 一度ゆっくり味わい考えてみて下さい
この世に生まれた任務を背負い
日夜 死に至るまで 自分との戦いが生きるということの本質なのです
ただ快楽の為に働くでなく 物金にとらわれず 自分を尊び敬い
身巾・分に合った生活を送り たましいを安らげてあげるのです
生きるとは 決して人と競い自己満足することではありません
人生の道程を一つ一つ越えたあげく そこに待っているのは
その人のやった行いと心遣いだけなのです。
人からほめられても 人の目を意識してつくったやさしさは
かえって汚れをつくっている原因なのです
心から自他共の安全を守る言葉と行動が義務としてあるのです
人は そのことをもう一度感じ学ばなければいけません
すれば 無理せずとも人と自然に語り合えるでしょう
これまでの各地の勉強会から レオ先生のお話 より
生きるということは、一口に言えば対人関係を円滑にするために
生まれてきている。その始まりが親子。そして夫婦になり、
また親子になり、老いて死んでいく。この四段階じゃないかと思う。
そしてその間に社会がある。
生きるということは、今僕が肉体を持って生まれたら何をやるんだ
と聞かれたら、いっぱい楽しんで、いっぱい体験して、
いっぱい大勢の人と知り合って、この世を楽しんでいきたい。
―レオ先生の場合はそうだということでしょうが、多くの人間はそういう余裕がないのではないでしょうか。
違うんだ。余裕というものは作るものであって。
こうやって皆を見ていえるのは、「あなた達は何のために生きているのか」
という言葉をあなた達に言ってあげたい。
そこで「子供のためです。妻の為です。夫の為です」って言ったら、
僕は「馬鹿」って言うね。自分のために夫がいてくれて、自分のために子がいてくれて、自分のために社会があるんだって言ったら、「うん」って言ってあげたい。
夫婦の為、子の為。人のせいにするなって言うだろうね。まず自分に帰ってあげなきゃ。人のことを案じるなら、まず自分を案じなきゃ本物じゃない。尊い自分というものを前世の人から預かっているんだから…
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