- <目次>
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蓮華のひとりごと
教えの言葉 「ごく楽山を泉として残す」―蓮華先生 その2
これまでの各地の勉強会から 月光様のお話
ダルマさんの言葉
自生会だよりを振り返って
ザ・ペパーミントのページ
読者のページ 蓮華先生と私 教えと私 『聖ある生き方』を読みましょう
編集後記
教えの言葉 ごく楽山を泉として残す―蓮華先生 その2 より
辛苦愛楽―
観音様がいわれた「辛苦愛楽」ね。人間のとらえ方が(浄化すると)、徐々に変わってゆく。
「辛い」というのを整理すると「苦しく」なる。「苦しい」というのを整理すると「愛しく」なる。
「愛しい」というのを整理すると「楽しく」なる。この(段階の)どこにあなた方がいるかってことですね。
世の中何でも良くとれば、「楽しく」なります。それと、温かい人は「愛しく」思います。
愛しいってことは、大切に扱いますよね。
それで、「苦しい」っていう時はまだいいんですね。苦しいの裏は楽しいですからね。
苦しいの裏はいいんですよ。苦しいをにがいほうに行けば辛くなりますよ。
だから、苦しいっていうのを知恵によって「よーし」ってなると楽しいほうにゆく。
苦しいっていうのを、相手が悪いんだって、過去のことをいっていると悪いほうにゆく。
どちらも本人なんです…
これまでの各地の勉強会 月光様のお話 より
不幸というものはありません。不幸というのは、我ままな人が不幸だと言っていると思います。
私は不幸だとか、私は悩んでいるという方がもしもこの中にいるのであれば、それはご自分を知らない方ですね。
要するに自分の役というものを見られない。知らないから自分の役に徹することができない。
喜びが無い人が不幸になっているのではないかと思います。
私たちの世界から見ると、不幸な人はいません。我がままとか、その我がままの中に勝気、
またずるさ、また欲深。欲深と勝気がとらえ方をどんどん不幸にしていくのではないかと思います。
だから欲張りと勝気が取れたら、その人は幸せに生まれ変われるのではないかと思います。
歓喜を持つ自分を作ることです…
気楽な生き方ということは、正しい喜びを持っています。孤独の方へ行って気楽だと錯覚する人がいますが、
人を喜ばせながら語り合って、人間として生きた証として、香りとしてちゃんと残っている人が、本当の気楽な人です…
気楽さは、自尊の中の気楽さを求めたらいかがでしょうか。気楽さは知恵により、また、信じるという心により芽生えるのです。
気楽さは、自尊により、また信じるという心により求められるのです…
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