- <目次>
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蓮華のひとりごと
教えの言葉 「ごく楽山を泉として残す」―蓮華先生 その1
これまでの各地の勉強会から 白神様のお話
ダルマさんの言葉
自生会だよりを振り返って
ザ・ペパーミントのページ
読者のページ 蓮華先生と私 『聖ある生き方』を読みましょう
蓮華のひとりごと より
この世はいろいろあって当たり前です
それは神がその人に合う問題をくれ その人の成長を祈って下さっているからです
生きるとは まず自分が楽しく よろこびを得る人になることです
人生を 決して自分から捨ててはいけない
人生を 決して自分からあきらめてはいけない
やる気がすべてを整理し解決してくれる
人生を 決して自分から捨ててはいけない
上に立つものは 人を中心に物事を考えてはいけない
人にはそれぞれの色があり思惑があるから
よけい 天の理(すじ)にそって 公平 平等を旨として
正しき必要性により示してゆかなければならない
合理とは
必要性と的確性の学びの中で能率よく動くことをいう
そして 人は自らのやすらぎをつくってゆく
それがおだやかな人 またのどかな人ということ
のどかな人は 先案じせず 今をよろこんでいく人である
そして いつも潔白の正しい人でもある
情を気(思い)でなく心(おもいやり)にかえて
合理で物事を見て道理(この世の礼と敬)でゆく
合理は神の心を表すのどかで安らぎを感じる有り方
教えの言葉 ごく楽山を泉として残す―蓮華先生 その1 より
自分と思っていても、皆さんは自分でないってことに気がついてほしいわけですね。
どうしてかっていうと、物事を見るのに好き嫌いから始まっている時は、もう自分ではありません。
「自我」と「自己」の見方です。「自分」というときは、好きとか嫌いじゃなくて、
今何をやらなくちゃいかんとかという、今をしっかり見る。これがレオさんのいう禅の心ですが、
それを「即今」というんですが、その心で行けば難はありません。
それを、好きだ嫌いだとか、過去のとらわれとか、それが自己になるわけですが、
それで(物事を)見ると今というものを見失ってしまうために、縄跳びでいうと、
この今というものに対して入っていけれなくなります。・・・
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