- <目次>
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蓮華のひとりごと
教えの言葉 「自生、自成、自精、自聖」と「仕合わせ、しあわせ、幸せ」(後半)
これまでの各地の勉強会から レオ先生のお話
ダルマさんの言葉
自生会だよりを振り返って
ザ・ペパーミントのページ
読者のページ 教えと私 蓮華先生と私
教えの言葉 よりー(まとめ)
「仕合わせ」
義務的にやる 自分のための責任
悪さを消す これをやらないと汚れ
真面目 楽しくはない
「しあわせ」
真面目は当たり前 心身一体
うれしい、楽しい 情緒的な喜び
誠意 何でも大切に扱う
人に見せるでなく自分の心がやれる
「幸せ」
天則にそう 黙っていても神様が幸せをくれる
永遠の道を歩く 和が広がる 平和、調和
理という芯が中心 人に見せようと生きていない
自分の役に誠実 自分の中に道理が入っている
これまでの各地の勉強会から より―
レオ先生のお話
喝という言葉をしっているか。喝という意味を知っているか。
これは自分に勝つという意味で、己に勝つという意味である。
幸いにして人間というのは、有り難いことに「良心」というものがある。
きれいな心というか、良い心ということかな。
この良心が前世の人の徳分による。
学んだものも「良心」になるけれども、魂に入ったものも「良心」という。
それを潜在意識という。…
僕が生きているとき、自分に常にいっていた言葉がある。
今いったように自分を戒めることが「喝」なんだ。
人に対してやる言葉ではない。
自分自身を奮い立たせることが「喝」なんだ。
「喝」というのは何だといえば、自分に対してのエネルギーであり、
自分に対しての励ましであり、自分に対してのお詫びである。
自分に対しての、すべて清算する言葉である。
「喝!」…
「喝!」…
「喝!」…
よーし。これが僕の教え。
禅とは自分を軽くしてやることなり。
禅とは複雑にとることは頭でっかちになるなり。
体と心が一体になる、これ禅の心なり。
禅とは時をいただく心なり。
禅とは人をいただく心なり。
禅とは大気をいただく心なり…
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