- <目次>
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蓮華のひとりごと
教えの言葉 「菩薩、賢者の前世と教え」
これまでの各地の勉強会から
ダルマさんの言葉
自生会だよりを振り返って
ザ・ペパーミントのページ
読者のページ 蓮華先生の想い出、他
蓮華のひとりごと よりー
生きるとは ごくあたり前のことをやってゆけばいいだけのこと
その為に何が必要かを知る為に学ぶこと
所詮自然には逆らえない 迷った分だけ自分を苦しめ暗くする
あたり前のすじ(常識)にそって 即今即今と体で動き 気を抜いてゆくこと
気を抜くとは 行い 思い 願いを現実に向けてゆく浄化であった
今 余分なこと(先案じ、取り越し苦労、思い、願い)を捨て
今必要なことが大切であり重要なことと知れば 余分なことを考える暇もなく
今に一生懸命 真剣という感覚が生まれてくる それを神は誠意という。
教えの言葉 「菩薩、賢者の前世と教え」より―
月光様のお話―
―月光様にとっても、肉体を持って生きるということは自分を成長させるための道だったのでしょうか。
そういう欲はありませんでしたね。「自分が」とか、「自分を大きくしよう」とかという気はなかったですね。 ただ正しいか正しくないか、その枠できたと思います。だから白神様が私を選んだのではないかなと思います。そこには、強弱とか、こうしたいっていう、その背伸びはなかったですね…
―白神様の教えの「自知、即今」ということでいいますと、「自知」というものはもう卒業されていたのでしょうか。
その全部が卒業ということはいえまえせんが、自分に責任を持って来た。それが自知じゃないでしょうか。
―即今ということの繰り返しだったのでしょうか。
その通りだと思います。けれどあまり冒険しませんでしたから、日常の中から、「あ、できた」「あ、こうやればいいんだ」と、こう和やかな生き方でしたね。…こうすればいいっていうより、すぐ動いていましたね…
観音様のお話―
―観音様は、肉体を持っていらっしゃった時は、教えということについて、どういう感覚だったのでしょうか。
教えと一口にいわれても、どういっていいかわかりませんが、私の場合は、身から出た体験が、それが残ったと思ったらいかがでしょうか…
私も人間ですから何回も生まれ変わっていますが、生まれ変わった数とか関係ないんですね。今現在の私がすべてだと思っています。たとえば前の方がこうだった、だから私はこうなったっていうこと関係ないんです、私は。なぜなら、すべてが一緒だと思っていますから。
私の中にも悪い心が一杯あった、今思えばね。というのは、何で悪い心があったと知ったかということです。みんな悪い心と思ってないんです、生きている時は。で、お釈迦様の教えとか、今は白神様の教えを仰いでいますが、その都度に自分というものを知ってい く訳です。教えを受ける度に、「あっ、ここだったのか」「あっ、こうやればいいんだ」。だからいつも教えは、私にとって新鮮であり、宝です。その宝をいただいて今日の私になっていると、はっきりいえますね…
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