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マイ・フレンド2022 NO.80

『マイ・フレンドNO.80』
<目次>

蓮華のひとりごと
教えの言葉 自分を知るには意識しないと出来ない(1)―蓮華先生―蓮華先生

・肩張るのではなくその時の役をやる
・本当の当たり前とは
・亡くなるまで自分を見ていた
・「今」だけを真剣に体当たり
・人間、人、者
・「人間」の道を歩みだす

これまでの各地の勉強会から

・レオ先生のお話

自生会だよりを振り返って

ザ・ペパーミントのページ

・線状降水帯とは
・マイ・フレンドの集いに感じたこと
・マイ・フレンドの集いによせて

読者のページ

・前世の方との語らい
・教えと私

『聖ある生き方』を読みましょう

編集後記

蓮華のひとりごと より

理は和の因 そして愛そのもの
情でなく 心ということ
その心が天に通じ 地に幸せを伝える

今生きている現実をしっかり把握していきます
それ以外 真実と出会うことがないのですから
真実が 神とのご縁であり
真実が 神の理の愛をこの身で感じ 表してゆける
それが生きているということと知りました

よろこびを心から感じます
すべて明美 即ち神でした
自分の為に生きることが
神仏への礼になると感じ 知りましたから

生きるとは
淡々と 時の波に乗ってゆけばよい
そこには人ではない現実の中の自分の任務と
新しい感覚を知るよろこびしかない

問題が起きるたびに
人が 自分の未熟さ 弱点を教えてくれる
人は いわば問題集
ただし ずるい気がなければの話

教えの言葉
「自分を知るには意識しないとできない(1)」蓮華先生 より

この世で不幸になる人は、不幸のような生き方をしています。幸せになる人は、幸せのような生き方をしています。

意識しない時はみんな気が楽だと思いますが、それは楽じゃないんです。
気のままに生きているということですから。我がまま、勝手ということです。
その我がまま、勝手という時は、自分は気持ちいいんですが、その常識から外れ、道理に逆らった時は、必ずその分が(問題として)来るのが神の公平だということです。

レオ先生(前世達磨大師)はご自分に対して、亡くなるまでご自分を見ていました。
だいたいどの方も、聖者というお名前、また精進というお名前を頂いた方は、亡くなるまでご自分を律し、また自分にお詫びしながら生きていたということです。人にお詫びじゃないんですよ。自分にお詫びする。
そのお詫びはなぜするか。この世に生まれたということに対して、素直さからお詫びができる訳です…

これまでの各地の勉強会から レオ先生のお話 より

この世の悪というものは、物金から始まる。なぜ始まるかというと、身巾を知らないから。その人がどのように生きていけばいいかという 基礎を知らないから、心が不安になってしまう。不安になるから余計に溜め込む。溜めこまないと気が安定しない。これがこの世の人間ではないかと思う。

ではどのようにしたらよいか。安定した人間になれるかというと、僕はずっと言ってきたが、三カ月分。自分の一カ月の生活費が三十万円だとしたら、それに掛ける三。即ち九十万円という貯金が、命のもとだと思う。三カ月何もしなくても、体を休めることができる。人というのは、「空」になればそんなにかからない。疲れていれば、十日間ぐっすり寝ればよし。だいたい十日で処理できると思う。けれども皆は、頭が疲れ切ってないから、体を横にしても頭が働くから日がかかる。頭というものを空にすれば、この世というものは極楽になる、と僕は思う。

極楽というのはどういうことかというと、僕みたいになれば良いということだ。僕みたいになれば良いということは、「今」のみにしか考えないということ。今のみの生活が積もり積もって、自分というものを作っていくということ。

今良いことをやれば、良いことというものが自分の中に入ってくる。今悪いことをやれば、悪いという色が自分の中に浸みてくる。この清めるか、汚すか。これによって自分というものを、毎日毎日作っているということを皆さんが知らないと、いつまでたっても、何回生まれ変わっても、何も変わらない。ただただ過ぎていくということになってしまう

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