
- <目次>
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蓮華のひとりごと
蓮華先生が残された言葉
教えの言葉・仕える心(前半)―白神様、観音様
私達は仕え人は必要ありません
神の仕事に協力する知恵、基礎を
勉強したあとの証
孤独を怖れるから自分を良く見せようと
人間としての誇りを見せてください
自知、即今、そこまでいかないとこれまでの各地の勉強会から
・神前の講話―蓮華先生のお話
自生会だよりを振り返って
ザ・ペパーミントのページ
・イランとイスラエル
・イ・フレンドインタビュー ごく楽山を支える人たち その4読者のページ
・転 職
・古希を迎えて『聖ある生き方』を読みましょう
編集後記
蓮華のひとりごと より
いやなことがあったらまず動け
動けば心(気)が動く
ともあれ 悩むよりも動くこと
人間は 年相応の生き方が出来ればそれでよい
それが自分自身に素直になることでもある
老いるとは 肉体に無理せず
今日一日 今日一日と
自分自身に感謝していくこと
家庭や社会の責任ある立場から解放され
この世を去る時まで
気軽に気がねなく過ごしてゆけばよい
あとは自分自身をしっかり守り
ひとに迷惑をかけないように
自分自身の物体を整理してゆけばよい
物事を 苦しいと取るか 辛いと取るか
試練と取るか 修行と取るか
自身の向上、成長と取るか
すべては その人のたましいの品性と
父母の気質と育った環境により異なる
そのとらえ方により その行く末が大きく変化するもの
すべてが人ではなく 自らのとらえ方が
自分を作ってゆくと知るべし
自知とは 自分を見ようとするところから始まる
自分を知り 物事に取り組む それが即今
即今とは 今をすきなく動き 行動すること
教えのことば-
仕える心(前半)白神様 観音様 より
(蓮華先生は神の館で「お伺い」をされていましたが、そのお手伝いをする方々の集まりでのお話)
蓮華先生―
勉強したあとの証というものは何かというと、やっぱり思いやりなんですね。
ここでお茶くみをやらせていただくということは、どういう姿勢でやるか。本当の教えが、そこに入っているかということ。
例えば、どなたかお伺いに見えた。そこにルールがありますよね、基礎が。
初めての人はわからないんですから、導いてあげるというやさしさがないと…
結局は思いやりの出発は、まず自分のことを知れ、ということ。責任感からくると思うんですよ…
白神様―
私が今ここに出たのは、自知ということは、生れたもとを見る。
即今ということは、生まれたもとに対しての生き方に素直になる。
そしてそういう姿をやっているところに、人とむつまじく。
だから自分という責任ができない方は、人とうまくいく方便はありません。
世の中のうまくいっているというということは、私達から見ると全部自己満足。
本当のうまくいっている時とは、そういうものではありません。
お互いに形がないもので、お互いに垣根のないもので、人のもの自分のもの、ありません。うまくいっている時は、ともに喜び、そしてともに教え合い、ともに学ぶ。
これが垣根のない人間愛。…
私達は人間を必要としません。けれど人間のほうが私達というものの、言葉で言うととらえ方を必要としているのではないか…
決して私達は、あなた方に仕えて下さいとは言いません。あなた方が自分からやらせて頂くということは、あなた方が知恵をいただくということ。その場所を頂いたということです。
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